12月17日 ゼミ前半

こんにちは。

後藤ゼミ4年の大浜です。

まずは、14日に開催された『第9回 シモタカ・ジョースイ映像祭』にご来場いただいた皆様、
本当にありがとうございました。
今年は2年生(演習生)の作品上映が間に合わなかったことや、私たち映像制作チームが作品の方向性に四苦八苦していたこともあり、
どれだけの方が来てくれるのか全く想像がつかなかったのですが、多分会場の半分以上は埋まっていて、
多くの人に作品を観てもらうことができてうれしかったです。
映像制作のディレクターとして、厚く御礼申し上げます。



18日のゼミは映像祭の振り返りと、世田谷まちなか研究会(通称:せたまち研)の発表リハーサルが主な内容です。
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配布資料:社会学科卒論発表会のお知らせ
2月に行なわれる社会学科の卒論発表会。
今年度は中川町サブプロジェクトチームと、ゼミ長・岩切祐斗の計7名が卒論を書くことになっていますが、
発表にふさわしいのは、岩切か私大浜か、そのどちらかであると後藤氏は述べました。
個人的には、当日映像作品を流すことができないという点で、岩切が卒論を発表した方が良いのではないかと感じましたが…
今年度の後藤ゼミを代表するような場なので、僕になろうと岩切になろうと、堂々とした発表をしなければと思いました。



続いて、先日の映像祭を受けての反省と、これからの映像作品制作についての議論に移ります。
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「中川町の豊かさ」とは?
ゼミ内での試写会で
先生とプロジェクトチームの議論で
度々「大量生産・大量消費とは対極にある中川町の豊かさを言語化・概念化する」
ことが課題に挙げられてきましたが、先日の映像祭ではそれをうまく表現することができませんでした。

分かってはいるんだけど、イマイチ言語化できない。
言語化・概念化できた上で、視聴者にわかりやすく伝えなければならない。
この二つが、映像製作チームが抱えている課題だと思います。

今振り返ってみると、ナレーションの精査や映像そのものの精査がしっかりと行われていなかったのではないかと感じます。
「リーダーがやってくれるから」「自分がやらなくても、ちゃんとやってくれる人がいるから」
というような意識で、映像制作にちゃんと向き合ってこなかった人がいるのではないかと。

映像制作をリードしてきた立場から見ると、ゼミでの後藤先生との議論は、毎回詰めが甘かった点を指摘されているので
とても悔しいし歯がゆいのです。
やるべきこと、考えることが多い今作だからこそ、7人のメンバー全員の力を合わせられなかったのは本当に痛い。

あと一歩、というところなのに、なかなかたどり着けないのは悔しい。
リーダーとしても、チームとしても、今後丁寧に取り組まなくてはならない点だと思います。
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発言する4年 佐藤建。今年度の作品制作で僕と一番議論を重ねた男。



「中川町の豊かさ」とは何か?について、映像作品制作メンバーだけでなく
ゼミ生全体に質問が投げかけられます。
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後藤氏の問いかけに答える4年森山
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問いかけに答えられず、立ったままの4年菊池
質問に答えられず「わかりません」を連発するゼミ生に対し、
後藤氏は「答えられなかったら、ずっと立ったまま」制度を発動しました。

「言葉を紡ぎださなければ、思考は深まらない!」
と後藤氏。

他の人が書いたゼミブログでは、ゼミ活動のことを表面的にさらったり、綺麗にまとめた記事が多いですが、
実際はこんなもんです。
議論が盛んに引き起こされることはめったにないです。



僕自身、後藤ゼミの現状に憤りを感じることは特にないのですが、
「自分はこう思う」「あなたの考えとは違う」とか、考えることを放棄せずに
明確な意思表示をすることは、とっても大切なことだと思います。
長いものに巻かれていては、いざ切り捨てられたときに、自分の足で立つことができないから。



まあ、そんな感じです。



僕がゼミブログを書くのは、これで最後かと思います。

もう卒業かぁ。

「早く社会人になりたい」なんて思ってましたけど、いざ卒業が近づくと名残惜しいもんですね。



ゼミ後半に続きます。


文責:大浜匠(2019年度 4年ゼミ生)

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