2011年6月20日(月) 東京探検団 岡本太郎生誕100年記念?若者の街渋谷を巡る?

―目的―

「芸術は爆発だ」でお馴染みの岡本太郎。その彼が描いた作
品の一つである「明日の神話」が渋谷駅に掲げられている。
渋谷と言えば若者の街であるが、あの絵を見て一体何を感じ
取るのだろう。生誕100年という記念の年を契機に岡本太郎の
作品に触れ、芸術を見る目を養う。

との触れ込みで、梅雨真っ盛りでじめじめした6月20日に人数ギリギリで催されました。

参加者は、
4年:橋場 上村 鈴木 峰政
3年:井野 (河野) 中野 矢野 與那覇
そして後藤先生の10人でした。
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「明日の神話」について説明する橋場君

まずは京王井の頭線渋谷駅改札前に集合し、
渋谷駅連絡通路に展示されている「明日の神話」を皆で鑑賞しました。

この作品は1954年にアメリカが行った水素爆弾「ブラボー」の実験に遭遇し、大量の「死の灰」を浴びた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」と水爆の炸裂をモチーフに描かれた作品とされています。
この連絡通路はよく利用しますが、長時間まじまじを観ることはなかったので今回改めて作品の壮大さを噛み締めることが出来たような気がしますね。

その後、「岡本太郎生誕100年企画展 顔は宇宙だ。」が開催されている渋谷パルコへ移動。
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岡本太郎が手がけた生涯最後の作品とされる「雷人」からトリミングされた大きな看板が出迎えてくれました。
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1階にはさっそく展示物が置かれていて、5階の催場へと誘っています。
「坐ることを拒否する椅子」という題名の作品で、それぞれが妙な形をして座りにくい形になっていました。

そして5階に移動し、入場です。
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岡本太郎のマネキンと記念撮影する橋場君
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「眼」をテーマとした空間に入り、テンションが高ぶる中野さん

「宇宙」とのつながりを意識して芸術活動を行っていた岡本太郎の精神を具現化するような展示会となっており、
「眼」、「顔」、「宇宙」の順番で展示空間が形作られていました。
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出口のそばには岡本太郎作品のガチャガチャもありました。

30分ほどで展示会場を後にして、そのまま徒歩で南青山にある岡本太郎記念館に向かいます。
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道中にある、こどもの城の敷地内に設置されている「こどもの樹」。
様々な人種?の子供たちの顔をモチーフにした作品です。
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30分ほど歩いて到着。
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岡本太郎のアトリエだった建物が改装され、様々な作品が展示されていました。
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館内の見学を終え、意見交換を行います。

後藤先生は、岡本太郎の作品と東京の関わりについて、
「独創性」「大衆性」「東京性」という三つのキーワードを示して説明されていました。
「芸術は爆発だ!」とする岡本太郎の言葉が、
画一的なものを求める現代日本が貯めこむ鬱憤を解き放つ効果があるのではないか、と。

メキシコで「明日の神話」が見つかったのち、三つの都市が誘致合戦を行いました。
万博公園に「太陽の塔」が残る大阪、被曝経験のある広島、そして集人力のポテンシャルが高い東京。

下馬評では広島が有力でしたが、結果は皆さんご周知のとおり東京です。
これについても、先生は「多様性」と「個別性」という言葉を使って説明されていました。

「岡本太郎の作品は多様性に富んでおり、多様性は行き着くところまで行くと個別性と成り得る。
多様性を受け容れる許容度が高かったのが「東京」という場所であり、他候補地より懐が深いことも要因の1つとして作用したのかも。」

これについては、自分は結構納得させられました。
「東京」という、イロが付きすぎていてもはや何色がわからない場所に設置することで、岡本太郎の作品に触れた様々な人々がより多くのことを感じ、産み出すきっかけになるのではないか?という。

もちろん、広島や大阪に設置されることが悪いことではないとも思います。
広島に設置されれば反原爆・水爆のメッセージを世界に発信する強力な武器になっていたでしょうし、
大阪なら太陽の塔と相まって岡本太郎の紡いだ芸術文化の発信基地となりえたでしょう。

このように、設置する場所一つとっても様々な思いを巡らすことが出来る岡本太郎の作品。
彼の作品の多様性を垣間見た気がします。
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徒歩で渋谷駅に戻る道中に後藤先生たっての希望で、
尾崎豊が青山学院高等部在学時代によくサボっていたという歩道橋へ。
銅板の周りに大量に施された記念書き込みに驚き、皆で記念写真をパチリ。

とにかく歩いたフィールドワークだったと思います。以上!
文責:峰政良平(2011年度4年ゼミ生)

歩み