東京駅非公開部分の見学会

OBである横川さんのお知り合いの関係で、普段は見ることのできない貴賓室などの非公開部分を見せていただくことができました。
残念ながら非公開部分の写真はブログに載せることができないので(JR東京駅ガイドブックには載っているのですが)、横川さんがMLで流してくださったものやゼミ生が撮ったものを見てください。
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丸の内南口で集合して足立さんの紹介をしています。

〔梅の間〕
梅の間には、東京駅建設時からの変遷を示した絵や写真が壁一面に並んでいました。大正3年に開業した当時の東京駅は南口を入口に、北口を出口にして使っていたそうです。南・北両出口の屋根は最初は丸い屋根でしたが、現在は八角屋根へと姿を変えています。
しかし、変わったものだけでなく当時からのものとして、5・6番ホーム(有楽町寄り)に緑色にペインティングされた12本の柱が残されているようです。お近づきの際はぜひご覧になってください!

〔竹の間〕
竹の間は天皇皇后両陛下以外の皇族方と各国の要人の休憩室として使われ、「雅子様が愛子さまを抱いてお休みになっている」という説明もしていただきました。
窓ガラスは防弾ガラスで、外から見えないような工夫もされているようです。
また、普段皇太子様がお座りになる椅子に何と!坂田君が座っていました。

〔中央の門〕
行幸通りの延長線上に「東京駅」と表示があるのはご存知でしょうか。3月26日の見学会に行った人は見たと思いますが、結婚記念の写真を撮っていた場所がありましたよね。あのちょうど裏側(柵の向こう側)に行くことができました。

そこは普段出入りする場所で、内側から見た様子では、菊の取っ手がついた大きな扉で「厳か」という言葉しか思いつきません。本当に立派でした。

〔松の間〕
天皇・皇后両陛下がお休みになる場所である松の間。中央の一番大きな椅子と少し小さな椅子がテーブルを囲んでコの字型に置いてありました。
しかし、4年前にノルウェー国王が、2年前にデンマークの女王陛下が訪問されたときは使われておらず(日本の天皇・皇后だけ中央の大きな椅子を使うのは失礼だとの判断から)、両脇の小さな椅子を使ったとのことでした。

後ろには金色の大きな屏風があり、狩野元信が描いたという説もあるようですが、実際は不明で、狩野派のだれかが書いたものとされています。その屏風の上を中央線が走っており、結構音が聞こえるという印象を受けました。また、大きな椅子の正面には横山大観が描いた「富士に桜」という作品が掲げられていました。
さすがにここでは遠慮したらしく坂田君は座りませんでしたが、椅子を何回も触っていました。

〔地下通路〕
皇室関係者が東京駅構内に入られるときに使われる地下通路で、竹の間や松の間を出た広間、鹿の間からエスカレーターに乗って移動するようです。ちなみにエスカレーターは3段階の速さが設定でき、愛子様の安全のためにスピードを遅くすると、1分スケジュールがずれてしまうという苦労もあるとのお話でした。

〔地下煉瓦通路〕
最後に、丸の内南口近くのトイレの脇にある地下煉瓦通路を見せていただきました。大正時代は、東京駅と東京鉄道郵便局(現在の東京中央郵便局)とを結ぶ郵便鉄道で用いられていましたが、現在の主な用途は業者による飲食物などの運搬だそうです。その他、客室乗務員や車椅子で乗車する人のためのエレベーターがありました。
煉瓦造りの両端はランプが設置されていましたが、結構暗かったのを覚えています。煉瓦造りの壁面は片方が垂直、もう片方が斜めになっていて独特の建築でしたが、いったいどんな狙いがあるのでしょうか。

以上、見学会の様子でした。
最初は「普段見られないものが見られるのだから行ってみようかな。」という程度にしか考えていなかったのですが、本当に素晴らしいものでした。とても貴重な体験をさせていただきました。
文責:永山悠(2006年度4年ゼミ生)

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