No.13 (2009年3月1日発行)

1.第4回“「東京」を観る、「東京」を読む。”展の開催報告

A.展覧会の概要

 >> Dialogue between Sociology and “Visuals”<<
第4回 “「東京」を観る、「東京」を読む。”展
- TVドキュメンタリーと社会学のシンクロナイズ -


主催:日本大学文理学部
共催:社団法人 全日本テレビ番組製作社連盟
後援:日本都市社会学会/世田谷区/世田谷区教育委員会/調布市教育委員会/府中市教育委員会/
    下高井戸商店街振興組合/桜上水商店会/松沢地区町会連合会


<展示発表>
A.社団法人全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)“TVドキュメンタリーの世界-TVの中の「東京」と「東京人」-”
B.「東京人」観察学会(後藤ゼミ) “写真で語る:「東京」の社会学 '08”展 (15回目)

日時:2008年11月18日(火)-27日(木) 毎日(土・日・祝日も)12:00-19:00
会場:文理学部百周年記念館1階のエントランスホール
来場者: 1,309人(第1回展1,854人/第2回展2,086人/第3回展1,586人)
アンケート回答者: 971人(第1回展1,357人/第2回展1,418人/第3回展912人)


<ドキュメンタリー上映&講演会>
上映:「映像エッセイ 東京点描」「大都市の小さな商店街」「新しい下町の形」「根津例大祭」「東京カワイイTV」
講演:“映像の力・ドキュメンタリーの力・テレビの力、そして社会学の力”
    鬼頭春樹ATP専務理事・中瀬剛丸日本大学教授・後藤範章日本大学教授

日時:11月22日(土)午後2時-6時
会場:図書館3Fのオーバルホール
参加者 : 194人

ポスター パンフレット

B.東京新聞に掲載された紹介記事

東京新聞
『東京生活』(2008年8月号、えい出版社)
この他に、世田谷区広報、日本大学新聞、日本大学広報などでも紹介されました。
後日、観察学会ウェブにアップしたいと思っています。

2.観察学会(後藤ゼミ)2008年度のトピックス

A.2008年度を振り返って

この一年間は、決して順風満帆にきたものではなかった。3年生15名を引っ張るということ、ゼミ長という意味、先を見通した行動をとることの難しさ。この一年間は、本当に考えさせられることが多かった。

 最初に考えさせられたことは、前期のうちに3年生が一人やめてしまったことだ。それは、データ収集分析課題実習が終わり、5月の中旬頃だった。ピースボートに乗ると決心を決めた木村さんがゼミをやめたのだ。そのことについて相談も何も聞けなかったし、悩んでいたこと自体に気付けず、何もしてやれなかったことが何とも情けなかった。その一つの出来事から、4年生としての力が発揮できていないことは浮き彫りになっていったと思う。

夏を迎え、自分たちの展覧会の成功がかかっている夏合宿では、史上最低の合宿であったという酷評を受けた。自分たちは、4年生としての自覚が足りないことを突きつけられたのだ。いや、僕に対しての警告であったのだと思う。

後期を迎えると、自分のリーダーシップが問われていった。何度も何度も反省しても何もできないくらい情けないと思っていた時期であったと思う。

けれど、そんな中でも一つよかったことはある。色んな思いをしながら、自分達の代の展覧会・ゼミ会を開けたということが本当に嬉しかった。ゼミ長になる時に決めた絶対展覧会は開催するという目標が実現できて、最後の学生生活を締めくくれたのだと思えた。それもこれも、みんなの力によって実現できたのだと改めて思える。

最後にこの一年間、本当にみんなの力があったから乗り越えられたのだと思う。本当にみんなありがとう。

(4年・児玉研司)

B.春合宿

3月下旬頃、当時の3年生、入ゼミが決まっている2年生、演習が決まっている1年生が集まり、八王子のセミナーハウスで1泊2日の合宿をしました。人見知りの私には初対面で尚且つ学年の壁がある人達と1泊2日を共に過ごさなければならないということがすごく不安でした。自己紹介でも個性豊かな人が多く、個性がない私はこのゼミでやっていけるのか…と、とてもネガティブな気持ちになっていたのを覚えています。しかし、グループワークなどを通して、まだ喋ったことのない人達と交流を深めることで徐々に緊張も解けていきました。今考えると、この春合宿が私の人見知り克服への第一歩だったのだと思います。

春合宿で1番印象に残っているのが『むちゃぶり戦』です。これは、いくつかのグループにわかれ、各班ごとにレクレーションを考え発表するというものでした。テーマから自分達で考え、見ている人をどのように楽しませることができるかを考えていくのはとても難しく、まさにむちゃぶり!!という感じでした。当時は、なぜこんなことするんだろーと、この企画の意図がわからなかったけれど、グループ内で議論を重ね、それを第三者に向けて発信するということが、内容は違うけれどもゼミで行う作品づくりとほぼ同じであることに気付きました。これから私達が経験していくグループワークとは一体どんなものなのか、成果を発表し終えた時にどんな気持ちになるのか、ということを体験させてくれました。

この春合宿があったから、4月から始まるゼミに抵抗がなくなったのだと思います。初対面なのに優しくしてくれた先輩、仲良くしてくれた同期や後輩。この人達とならやっていける!!と思いました。不安だった気持ちが、帰る頃にはこれから始まるゼミに対して期待でいっぱいになっていました。春合宿のおかげで、とても良いスタートを切ることができました。

(3年・丸田結香)

C.データ収集・分析課題実習

今年度、最初のグループワークです。大学の授業において、初めてグループで活動するという人もいたのではないでしょうか。班での活動とはどんなものか!?

今年の展覧会のコラボ相手との関連で、「ドキュメンタリー(東京と関係するもの)」について4班に別れ分析することになりました。まずは、埼玉県の川口にあるSKIPシティを各班ごとに訪れて、様々なドキュメンタリーを見に行きます。そこでは、NHKの過去のドキュメンタリー作品が見られるんです。その他のコーナーも個人的には楽しかったなぁ・・・。

そして各班一つのドキュメンタリー作品を選び、それについて社会学的観点から考察します。それを発表しました。前期のキャプション活動も同時平行していたので、なんだかこの時期はえらく忙しかったように感じます。さっそく後藤ゼミの先制パンチをくらったような。

いざ発表日!! 4班ともプレゼンソフトを使っての発表です。プリント作ったり、おのおの班で、工夫がみられました。取り上げた作品も、木遣りを取り扱った作品、東京タワー建設にスポットをあてた作品、などなど様々です。

分析の仕方やプレゼンテーションの仕方に、4班ともそれぞれに良い点・悪い点があり、お互いに指摘しあいました。他人へのプレゼンってなかなか難しいものですね。班での活動途中で「社会学ってそもそも何よ!?」と、ちょっぴりパニックに陥ったりもしたり・・・しなかったり・・・。そして、グループワークとはどういうものかも、このデータ分析課題実習で学んだ気がします。まぁ今にして思えば、まだまだ序章に過ぎなかったんですがね。そんな5月の活動の一幕でした。

(3年・後藤のどか)

D.第5回ゴトウ日

今年もやるよ!! ということで、ゴトウ日開催! 今年は諸事情により、後藤先生宅にお邪魔することは出来なかったのですが、代替案として「皇居一周FW&TW」を企画! 一同楽しみにしていましたが…まさかの雨天中止。降りしきる雨に抗える術はなかったですね。遠足が中止になるのと同じくらい凹みました…。でも雨如きで一大イベントが頓挫する訳ではございません!! 文理学部構内にある食堂、「サクラ」にて、懇親会を催すことに相成りました。生憎の雨模様の中、後藤ゼミOB・OG、現役ゼミ生に演習生まで総勢50人が足を運んでくれました。溢れんばかりのお酒と料理、そして活気が会場を包み込みます。まず、後藤先生からの御挨拶と中止に至る状況説明、FWに備えた機能的(?)ファッションを披露するなど、早くも爆笑の渦でした。懇親会は年齢・世代の垣根を超えた交流を図る数少ない機会。恐る恐る聞いてみました。「あの…今おいくつなんでしょうか?」「卒業してもう10年以上経ってるかな!?忘れちゃったよ!!(笑) 君、今3年生?若いねー!」こんな会話はなかなか出来るもんじゃないですよね? 私も含め、ゼミ生は自分達より遥かに年上なOB・OGに対して緊張を隠せませんでしたが…。お酒の力を借りつつ、持ち前のバイタリティを前面に押し出してトーク!トーク!トーク! 展覧会の話題や「単位は大丈夫?」などのフランクな質問もぶつけられるなど、会話も弾みに弾みましたね。自己紹介タイムの時には、ほぼ全員が笑いを取りに行くなど終始アットホームな雰囲気でした。この勢いは天井知らず! 後藤ゼミ御用達の居酒屋、「たつみ」にて二次会へ!! 皆さん、飲み過ぎですよ!!(笑) 大声では言えないような話や、先生に関する秘密など、よりディープな会話が繰り広げられました。気が付けばあっという間の数時間。ゴトウ日の濃密さ、ゼミ生の「繋がり」「絆」の強さを身を持って体験した一日でした!

(3年・朴哲宏)

E.タウンウォッチング(築地市場)

2008年 6月23日 0:00 築地集合。

深夜からジョナサン築地店にたまる後藤ゼミの20人。

ゼミだからといって、FWでこんなことまでやるのかと驚いていたあの頃。今では後藤ゼミは何でもありなのだと柔軟になった。FWの目的は「セリ」を生で見るため!! キャプション築地班の為に行われたかのようなFWだった。

まだ夜も明けぬ午前3時から活動を開始した後藤ゼミ一行。市場にはトラックが次から次へと入っていく。生臭いにおい漂う場内を歩いていると、横をターレットがぴゅんぴゅん過ぎていく。

そして時刻は午前5時になり、いよいよセリ場へ! 初めて見る冷凍マグロのセリ。まず、並べられたたくさんの冷凍マグロに圧倒。業者さんがマグロの品定めをしていく。さらに外国人観光客の多さに驚く。私たちゼミ生がいなければ、見学者はほぼ外人観光客だと言って良いだろう。築地が観光名所になっている実態を見た。そして締め切られたセリ場の中、あまりの寒さに無言になっていくゼミ生・・・。しかし、いざセリが始まるとその迫力に大興奮!! 独特の音調でセリ値をうたうセリ人。私たちでは読み取ることさえ出来ない指裁きで値段を示す業者さん。セリ場でしか味わうことの出来ない臨場感を味わった。貴重なものが見られ、皆感動したことと思う。

 その後、各々場外市場で新鮮な海鮮丼を食べ、大満足! 築地キャプション班は後藤先生とはぐれてしまったが、会議室で無事再会し市場のビデオを見せて頂いた。管理課の杉田さんには前期を通して本当にお世話になり、もはや管理課の杉田さんなくして築地は語れない。普段見ることのできない築地(セリ)を体感することができ、有意義なFWだったと思う。ちなみに、河村さんがターレットに轢かれたという伝説も残った。笑

(3年・角井祐子)

F.タウンウォッチング(広尾)

6月23日、13時日比谷線広尾駅3番口にて待ち合わせをし、広尾タウンウォッチングが開始された。まず駅周辺を歩き、そこから広尾ガーデンヒルズに向かうことになった。広尾ガーデンヒルズは新緑が綺麗な閑静な住宅地であり、マンション内にはパン屋さんやお花屋さんカフェなどが併設されていた。なぜかタクシーが多く目に付き、花束を抱える人なども見かけ流石高級住宅地といった感じであった。

次に向かったのが大使館。広尾といえば色々な国の大使館が集中している地区で有名である。私たちはスウェーデンや中国の大使館周辺を散策してきた。大使館はどこも高い壁に覆われており中をうかがい知ることは出来なかった。又どこの大使館も自国の国旗を掲げており、その国の紋章が壁に書かれているところもあった。さらに大使館周辺では海外引越し専用と書かれたトラックを発見し、ナショナルアザブスーパーマーケットでは店員さんが英語を話せるということに驚き、近くの食事屋さんはメニューがローマ字表記になっていたりと、たくさんの驚きと発見があった。

その後、私たちは有栖川記念公園に向かった。公園内には日本人の子供たちが遊具で遊んでおり、そこには外国人の親子も多く見られた。一瞬ここが日本であることを忘れてしまいそうになるほどである。又大型犬を何匹も連れて歩く人なども見ることが出来た。

公園を後にし、休憩のためにカフェに入り、談笑。その後六本木まで歩くことになり、途中お寺などによりながら最終目的地の六本木ミッドタウン内に有るフジフィルムの展示会場(無料)へと向かった。

こうして広尾から六本木までの長いタウンウォッチングが終了、多くの発見と先輩たちとの交流を得ることが出来た。

(3年・星ともみ)

G.前期フィールドワークの実施とキャプションの作成

あの展覧会の作品を自分たちの手で作る。まだ4月の後藤ゼミに入ったばかりで右も左もわからないことだらけ。そもそもキャプションって何?という感覚だった私は、これからはじまるフィールドワークやグループワークがなんだか楽しみでもあり、不安でもあった。

実際にキャプションの作成がはじまると、写真の良し悪しや毎週のように変わるキャプションの方向性、社会学、東京性についてグループ内・ゼミ内で議論が続いた。「ごめん、キャプションやんなきゃ」というセリフが増えた。しかし、そのなかで得たものは確実にあった。それは、どんな物事にでも「なんで?」と疑問に思う感性と、議論の中から新しい発想を導き出す創造力である。

「なんで空は青いの?」「なんで海の水はしょっぱいの?」「ねえ、なんでなんで?」 幼い頃は自分が五感から得た不思議を言葉にし、答えを求めた。しかし、いつからか「なんで?」と思うことをやめてしまい、それは「あたりまえ」という感覚に変わってしまった。前期のフィールドワークとキャプションの作成で私たちは、この「あたりまえ」という感覚をフィールドワークで五感を働かせることで打破し、さらにそこから革新的に物事を考える力をつけていったと思う。

(3年・上野はるか)

H.夏合宿

今年の作品が出揃い、ここの中から選考しなければならない。そんな思いがみんなの中にはあった。昨年を上回る作品を必死になって探し、疲労困憊の中私たちは今年の作品を選び出した。写真を様々な視点から見て、意見が飛びあう。何よりも写真力=インパクトが如何に大切か学ぶことになり、写真を撮るときから個人がキャプションを意識しながら撮影することを再認識すると同時に、写真の構図の大切さをこの時期に痛感する。

夜になるとキャプションや深い話でお互いの認識を深める。滅多に出来る経験ではない。

 2日目、演習生の下高井戸ドキュメンタリー作品鑑賞会。クオリティーの高さにゼミ生一同圧倒される。

 昨年を上回るために私たちは一体何をすればよいのか? 常に意識を持とうと決心する。

残り少ない時間の中で各班の担当作品をきめ、方向性を決める作業に入った。

 キャプションを通じて私たちはこれからどんなことを経験していくのであろうか? 全く想像がつかない中個人的にはもっと前に出て行こう自分から何かやってやろうと密かに決心することになる。写真を生かすも殺すも私たちのがんばり次第。その責任を背負ってこれから3ヶ月間を全力疾走することになるのである。

(3年・長森佑介)

I.前期ウェブ改定

I.前期ウェブ改定

 今年は東京人観察学会HPのトップページを改訂することが前々から決まっており、どんなトップページにするべきか、システム班の中でもいろいろと議論をした。カーソルを合わせるとメニューが現れる、プルダウンメニューバーなるものをシステム班としては作りたかったのだが、現役生の技術が乏しく、採用できるようなものは作ることができなかった。4年生の山本さんが作った案も、携帯で見られることや、シンプルで分かりやすいといった利点があったものの、縦にスクロールする量が多いということで、今回は採用を断念した。

 一方で、横川さんがお忙しい中時間を割いて、当日ほぼ完成に近い形でトップページの見本を制作してくださっていた。システム班希望のプルダウンメニューにすることも可能だということで、全面的に横川さんに頼りきり、その他OBのみなさんのおかげで新しいトップページに改訂することができた。

 写真を通して研究をしていることが視覚的に分かるよう、過去作品の中から数枚写真を選び、トップ画面に載せた。このHPを見て、少しでも東京人観察学会に興味を持ってくれる人がいるといいなと期待を寄せている。

 しかし、大橋さんや山本さんが卒業してしまう来年度、知識の無い現役生しか残らないことに不安は大きい。OBの方たちに頼りきっているこの状況を少しでも打破しようと、現役生は勉強しなければならない。トップページ改訂は今年の目標だったものの、これから数年かけてHPを大改訂しようということなので、ますます現役生自身に知識が求められることになるからだ。

 懇親会では、システム班の現役生とOBの方たち、先生という少人数だったため、和気あいあいと研究室でゆっくりといろいろな話をさせていただいた。

東京人観察学会は、OBのみなさんの力無くしては成り立たない。このことを実感したウェブ改訂であった。

(3年・猿谷ゆい)

J.後期フィールドワークの実施とキャプションの作成

後期を振り返ろうと思い、手帳を見たら8月まではスカスカだったスケジュールが9月からはビッチリと埋まっている。12:30雷門、10:00新宿高島屋、13:00日本橋、11:00三軒茶屋、10:00神保町・・・1週間に最低でも1回はどこかにフィールドワークをしていたようだ。

前期とは桁外れのフィールドワークと話し合いの数。最初は、なんでゼミのためにこんなにも頑張らなくちゃいけないんだと思った。でもやればやるほど、フィールドワークで発見したこの写真の持つおもしろさを、どうにかして自分達の文章で伝えたいと思うになってきた。検討会では、けちょんけちょんにされることを多々あった。それでも諦めず、フィールドワークと話し合いを重ねた。六本木スカイデッキから見る東京の夜景を見たり、六本木から40分かけて歩いて東京タワーに行ったり、観光客気分で東京タワーに登ったり、浅草名画座のインタビューのついでに浅草寺で煙を浴びたり、新宿高島屋から出てくる人を追跡したり、地下鉄の階段をひたすら数えたり、日本橋から高架下を通り両国まで行ってみたりと、調査をしながらも普段出来ない体験が出来るおもしろさがあったから、フィールドワークを楽しむことができたのだろう。話し合いは、いつも遅くまで及んだ。自分達のしてきたフィールドワークの成果を400字に収めることは、そう簡単じゃない。それを如何に落とすか。ここが一番の難所だった。浅草名画座の落ちが出来たときは、本当に鳥肌が立った。班長の力を見た瞬間だった。時には怒りをぶつけることもあったけれど、それはキャプションと、仲間への愛があるからこそ。今では、会わない日が続くとちょっと寂しい感情を抱いてしまう程、仲間はなくてはならない存在になってしまった。

結局、最後の最後まで、私には東京性・社会性の答えは出ずに終わったけれど、後藤ゼミは面白い!ということはわかった。私達3年生にはまだ1年残っている。来年は今年の反省を生かし悔いの残らない活動をしたい。そして、4年生の皆さん、1年間ありがとうございました。

(3年・伊藤しおり)

K.部会活動(会場デザイン部会)

広報宣伝部会、PLP部会が慌ただしく活動し始め、次々とそれぞれの努力や作品が形となっている中、デザイン・会場部会の私はただただ何もわからず時期が来るのを待っていました(もちろん中には忙しかった方々もいます☆)。キャプション班が最期の追い込みの頃になり、緩やかに展覧会の開催日が迫っているという実感の中、会場設営やら何のイメージも浮かばないまま自由気ままに自分が書いた会場図案をもっていったのを覚えています…。今見ても自分でなんじゃこりゃ…とがっかりするような図案が。

 何回かシミュレーションをしていくたびに何が必要かが見え、鬼頭先生とも対面し(正直、「鬼頭」と書くくらいだからすっごい怖い人だと思いこんでいました)、展覧会の開催日が迫るドキドキよりも、焦りのどきどきが強かったような気がしました。人数も少なく、前回の経験者も少なくどうなるんだろうという気持ちで一杯でした。

 お花も買いに行きました。お弁当も買いに行きました。飲み物も買いに行きました。

 展覧会前日があっという間にやってきて、一日があっという間に終わり…色々あったけれど、無事?!に準備終了!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 来年への改善点や新たな発見をしました。様々な経験から来年も絶対に展覧会を成功させたいと思いました。

 そしてドキュメンタリー・講演会の日

この日はひどい日でした。でもインカムの機械に私はわくわくドキドキでした。だから良かった日ということにします。

コーヒー足りなくなるっていうのは予想外でした。猿谷さんがドリップ用のコーヒーを買ってきたのはもっと予想外でした。コーヒー飲まないからと言われました。

 この部会にいて気づいたことは、本当に力仕事が多かったことでした。私たちが経験したことを来年必ずや活かしたいと思いました。

(3年・今井晴香)

L.部会活動(広報・宣伝部会)

 今回、広報宣伝部会の部会長となり、動いてきたのだが、昨年までの経験や実績をうまく活かせた、と言い切れない。

 僕自身にとっては部会長ということで、あれこれ動かなければいけなかったため、余裕はなかったし、「うーん、去年はどうしていたっけ?」と第3回展の経験をひたすら思い出そうとしていた。企画書作りやメディアへの広報活動など、前回は雑誌3誌、新聞1紙に掲載していただいたのに比べて、今年は雑誌ゼロ、新聞1紙と、成果らしい成果を見せることが出来なかった。ポスターの掲示や郵送作業などでも手間をかけてしまい、部会メンバーを始めとしたゼミのみんなや学校の関係者の方々に迷惑をかけてしまったのもまた事実かもしれない。展覧会期間中も、早い段階から会場前での呼び込みをもっと出来なかったか、呼び込みや会場内でのお客様への声かけや解説などを積極的にすることをゼミ生全員に浸透出来なかったか…。今振り返っただけでも、反省点は山ほどあるし、部会長らしい行動ができていなかった。

 ただ、この失敗があるから、また先に進めることが出来ると思う。第3回展には及ばないが、1,309人の方に来場していただけたのは、本当によかった。

 ここまで来られたのは、支えてくれたゼミの仲間、そして後輩達のおかげと言っても過言ではない。しかし、第4回展はまだ終わっていない。後輩達へ引き継ぎ、第5回展が終わって初めて、本当の意味で第4回展は終わるのではないか、と思っている。そして、後援先やポスター掲示に協力してくださる商店街の方々など、理解し、協力してくださる人たちの存在があって、広報活動が出来るということを忘れずに、第5回展に取り組んでもらいたい。

(4年・高橋芳典)

M.部会活動(PLP部会)

今年度は、「昨年度を越えるポスターを作る」という高いハードルを目の前にPLP(ポスター・リーフレット・パンフレット)部会の活動は始まった。千葉大学の方々から教わったデザインの3要素、視認性、訴求性、判読性に意識して、まずは部会メンバーで個人案作り。今年は東京タワーの写真が目立った為に、東京タワーを入れ込んで、またTVドキュメンタリーとのコラボレーションだということが分かるようなポスターを意識しての制作だった。最初の検討会からいい評判で、ますます昨年越えができるようなポスターを作ってやるぞと意気込む中、キャプションが1次案、2次案と進んでゆき忙しさに追われながらパソコンと向き合った。遅くまで研究室に残り、文字の入れ込みからテレビ枠の細かい修正、地図や文字の大きさや配置などを繰り返し検討し、最終的な完成品が出来上がった。当初の納品予定日から1週間押しての納品で、出来上がったA1サイズのポスターは思っていたものと異なり画像が粗かった。

 ポスター、リーフレット作成後はパンフレット作りに移った。昨年同様三つ折りの形で作っていくがうまくいかない。最終的には三つ折りを諦め、ゼミ生からの意見をもらい、ギリギリになってパンフレットが出来上がった。

 こうやって振り返ってみてもやはり反省点が多い。ポスター、リーフレットに関しては最初のハードルを越えられるものが出来上がりそうだったのに、ツメが甘かった。パンフレットは最後まで部会として作ることができなかった。

悔しい。そんな思いがやはりあるが、一方で私はこの経験から自信を得た。「形」のないイメージされた今年の展示会を、ポスターとして「形」にすることができたからである。形にする難しさやうまくいかないもどかしさを実感し、また反省点も多くあるが、今でもこうして出来上がったものを見ると嬉しくてたまらないのだ。私たちの手で、作り上げたのだと。

 来年度は今年度の反省を大いに生かして、更に上をいく第5回展らしいPLPを作り上げたいと思う。

(3年・柴田碧)

N.第4回「東京」展

ついに我々が一年間頑張ってきた成果を発表する第4回“「東京」を観る、「東京」を読む。”展が開催された。この展覧会が開催されるまでには様々な苦労があった。この展覧会には後藤ゼミのすべてが詰まっている。

開催前日にデザイン部会を中心にみんなで準備したが、初日の朝には半数がパネルから落下してしまったり、ATPの作品に誤字があったりとトラブルはありましたが、それらを乗り越え、雨の日も晴れの日も暗くなるまで「たくさんの人に見てもらいたい、作品を見て何かを感じてほしい」そんな思いを胸に呼び込みやチラシ配りに精を出しました。

地域の方々、文理の学生、ゼミのOB・OGの方々など多くの来場者を迎え、作品を見ていただき、「よかったよ!」と言っていただけると今までの苦労が報われる思いでした。

寒さで体が冷え切ったらコーヒーや紅茶で温め、いただいた差し入れで元気をもらうことができました。たくさんの差し入れありがとうございました。

22日にはドキュメンタリー上映&講演会@文理学部図書館3階オーバルホールが開催され、後藤演習を受講する2年生によるドキュメンタリーやNHKの作品の上映、諸先生方の講演が行われました。想定外の来場者の多さに急遽、椅子を設置しましたが194名もの来場者を迎え、興味深いドキュメンタリー、白熱した講演が行われ無事終了となりました。

11月18日から27日までの10日間開催された展覧会もあっという間に終了して来場者は合計1309人とたいへん多くの方々に私たちの作品を見ていただきました。

ご来場していただいた方々本当にありがとうございました。

(3年・中村仁一)

O.ゼミ旅行

2008年の締めくくり、ゼミ合宿です。今年の目的地は群馬県の猿ヶ京三国温泉郷、湯宿温泉です。

1日目。現地へ着くとまずは体育館へ。チーム対抗戦のレクを通して交流を深めました。中でも最後の種目、「障害物競走」では、うさぎ跳び、せんべいの5個食い、計算問題、コーラの一気飲み‥と、各走者に難関なお題が課され、盛り上がりを見せました。宿泊先の「太陽館」では、温泉とおいしいご飯を満喫。夜の宴会も、皆でお酒を囲い一年間を振り返ったり、悩みを相談したりと、時間を忘れて楽しい一時を過ごすことができました。

2日目は「伊香保グリーン牧場」へ。ここでは、牛や羊をはじめ、多くの動物と触れ合うことができ、また「シープドッグショー」(広い放牧場に放し飼いされている羊たちを牧羊犬が一気に連れてきてくれる)などのダイナミックなショーを楽しむことができました。牧場定番のソフトクリームもとってもおいしくゼミ生に大人気でした。

ゆっくりのんびりと過ごすことができ、本当に楽しいゼミ旅行でした。多忙な一年間を乗り越え、皆で笑顔で過ごした今回の旅行を通し、また一つこのゼミの良い一面を知ることができた気がします。

(3年・栗原理恵)

3.2008年度「文章表現力向上実践講座」より -優秀作発表-

A.自由の鍵は4つある

A.自由の鍵は4つある

  底無し沼が追っかけて来る。泥の手かざして追っかけて来る。本を抱えた男の子、渡すものかとひた走る。沼の魔物が顔を出し、鈍い声で話し出す。「その本持ってこっちへおいで。お前の持ってるその本は、沼の国では役立たず。泥に沈めて、忘れさせてあげるから。沼の国ではその日暮らしが当たり前。こちらで気楽に暮らすが良いぞ」。底無し沼の泥の手が、男の子を捕まえた。男の子は石になり、底無し沼へズズズズズ。
 天使が空から下りて来た。「あの子は沼に捕まったけど、膝から上はまだ出てる」。沼の魔物がにんまりと、石になった男の子から、本を奪ったその途端、天使が本を奪い返して、男の子にささやいた。「石になったら本を読むのは大変でしょう、代わりに私が読んであげます」。
 最初に天使が開いたページ、数字が沢山書かれたページ、床に散らばる数字の積み木、幾つ積んでもなくならない。
 次に天使が開いたページ、音符が沢山書かれたページ、ピアノの鍵盤少ないけれど、もっとあるんだ高い音。
 その次天使が開いたページ、図形が沢山描かれたページ、三角形につの1本、もう1本と生やしたら、段々つのは消えていく。
 最後に天使が開いたページ、星座が沢山描かれたページ、星は誰でも寿命が来るけど、離れるくっ付く繰り返す。
 天使が全て読み終えた時、石になった男の子、元に戻って沼から抜け出し、初めて味わう健やかさを得る。天使、男の子に本を手渡す。男の子、本を抱いて自由の身となる。旅は永いけど、行ってらっしゃい。沼の魔物は舌打ちをして、底無し沼へ沈んで行った。底無し沼はズルズルと、縮み何処かへ去って行く。他に本を持ってる子、探し回ってズルズルと・・・。

(2008年6月14日発表/4年・古瀬宗)

B.大好き

 大好きなんです。もう会えない、あの人のことが。
 4階のドアを開けるとき、いつもドキドキしていました。3月までは、いつもあそこにいてくれるって思っていました。2年前、あの人に出会った瞬間、私のドストライクゾーンに剛速球が投げこまれました。1度でいいから、用もなく話してみたかったです。
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 みなさんは、自分の理想にぴったりな異性に出会ったことがありますか? そのとき、その人に恋をしましたか?
 私が今、想いをつづったその人は、まさに私の理想の人でした。でも、その人とは事務的な話しかしたことがなく、その人がどんな性格で、どんな人なのかなんて、全然知らないんです。
 なのに、勝手にその人と自分の理想像を重ねて、自分の大好きな人にしたてあげて、勝手にドキドキしてしまうんです。
 たとえ、その人が私の名前を知らなくても構いません。顔も、きっと覚えてくれていないと思います。けどいいんです。その人に私を知ってもらいたいわけじゃないから。
 だから、これは恋じゃないんです。
 なんて言ったら失礼だけど、あまりに自分の理想像に近い人が現れると、本気で恋愛したいと思う以前に、その人を一目見るだけで幸せになって、ファンになったような気分になります。
 そう、ファンなんです。
 そう思わなければ、もう会えない悲しさから立ち直れません。
 入ゼミする前から、後藤ゼミのウェブ日誌を読み、ゼミ合宿や旅行に一緒に行って話せるんだ!と、期待に胸躍らせていました。
 なのに・・・。
 私は、社会学科事務室にいた神戸さんが大好きです。

(2008年5月7日発表/3年・猿谷ゆい)

C.五月病の逃亡劇

またこの季節がやってきた・・・。五月という月に関わらず、私、年に三回ぐらいは、五月病になってるなぁ・・・と思う。
 ふと目を覚ますと、私の座る座席の後ろには、海が広がっていた。海のある町で育ったにも関わらず、いつもこの大きく広がる景色を見ては気分が高鳴る。あ・・・なんとか川ってとこ過ぎて、次は真鶴かぁ・・・舞鶴と似てるなぁ・・・とか思いながら、二人がけの電車の席で、ゆっくりと腰を浮かし、自分の背に広がる景色を車窓からのぞいた。水平線は天気のせいか、ぼんやりしている。白い船が静かに浮かんでいる。私の横に座っていた、咳払いのうるさいおじさんはもういない。すっかり寝てしまっていた私。車内の年齢層は寝る前よりすっかり高くなっている。終点、熱海に到着。
 そう・・・私は、逃げてきたのだ。ゴールデンウィークが過ぎてから、何となく何かが狂い始めた。色んなことが一気に忙しくなった。
 心の叫びを紹介する。
 ゼミ・・・。いくつかのことを平行してやるのは、こんなに大変なことなんか。毎日、毎日、家に帰ってきては、パソコンの電源を押す。あぁ!もうこの起動音聞きたくない!!
 バイト・・・。昇格したのはえぇけど、上から下からの板ばさみ。中間管理職の気分や。世間の中間管理職の皆様・・・心からお疲れ様です。
 パソコン・・・。もう!なんで私の思うように動いてくれんの!?あなたの扱い方がわかりません・・・。お願いですから、どうか私めの言うことをきいて下さい。
 友達・・・。忙しい時やったけど、真剣に悩んでるみたいやから、こっちも真剣に話聞いたのに。次の日。「あぁ。昨日の事? なぁ?んか大丈夫やったみたぁ?い、アハ。」・・・・アハって・・・。
 部屋・・・。きったなぁい。お皿・・・洗わなくては・・・洗濯・・・しなくては・・・ 明日でいぃや。
 うわぁぁぁ・・・ビデオ見れなくなった・・・故障?唯一の癒しタイムが・・・。もうえぇわっ!!
 その他にも、あれやこれや・・・やることいっぱい。無理無理無理・・・。誰か助けてよぉ・・・。
 そりゃ、話題の「猪木酒場」にも行きたくなるわ。「1、2、3、サラダァァァァァァ!!!!!」って店員さんと共に全力のテンションで叫ぶわ。
 そりゃ美容院行って髪の毛でも切れば、何か変わるかしら。とも思うわ。担当してくれた人、アシスタントレベルの人やったけど、いぃ人やったなぁ。帰り際、美容師さん「ありがとうございました。また来て下さいね」。私「ありがとうございました。頑張ってくださいね!!」・・・・・・・・・・。お前が頑張れよ! 学校休んでる奴に、頑張れなんて言われんでも充分頑張ってはるわ!!
 そんなこと考えてたら、窓開けたまま寝てて風邪をひく。この忙しい時に、何してんの!? 自分で自分に腹が立つ。もう、限界よろしく状態になった。
 そんな折の熱海逃亡劇。四月の段階で五月病になると、うすうす感づいていた私は、友人と熱海の温泉に行く計画を、早くから立てていた。
 その保険は見事にお役を果たすこととなったのだ。熱海での日々は夢のごとく過ぎていった。ちょっと熱めの温泉に、食べきれないほどの海の幸。本当に人のいい町の人たち。露天風呂から見た、ちょっと泣けてくる朝日と海。夜の怪奇現象に、幼なじみとの思い出話。カフェのスコーン。全部楽しかった。
 そんな日々ってのは、ものすごく早く過ぎていくもので、別れの時間。熱海駅のホームの青いベンチに、体から根が生えて、そのまま根付いてしまいたい気持ちだった。
 ゆっくり東海道線、東京行きは発車した。二人がけの座席。来た時と同じ体勢で、窓から海を眺める。昨日よりはっきり見える、水平線。
 熱海に来たからって、自分の抱える現実が変わったわけじゃない。むしろ、楽しかった時間のせいで余計虚しい気分。でも、もう五月も終わる。またしばらくしたら、季節はずれの五月病になるかもしれない。だけど、せめて六月は頑張ろう。できれば七月も。
 品川に着くまでは・・・この海を忘れたくない。と思いながら、私は夢の中へ。ゆっくりと目を閉じる。

(2008年6月3日発表/3年・後藤のどか)

D.ホッカイロ

私たちの初めての出会いはいつだっただろう。中高一貫校である私たちの学校は、一学年7クラスもあった。
 あなたのことは見かけたことはあったけれど話したことがなかった。めが大きくっていつもツンとしていてる。目があうと睨まれてるそんな感じがしていた。ちょっと怖い人。それが私の勝手なあなたへのイメージだった。
 高校二年の春。受験を意識しだした私は予備校に入った。私の学校は大学まであるエスカレーター式。受験をしようとする人はそこまで多くなかった。
 「星さんもこの予備校なんだ」。私は驚いた。あなたがここにいることも、さらに私の名前を覚えてるということも。
 「一緒に授業受けよ」。あなたはにっこりと私に笑いかけた。それから私たちは予備校の授業を一緒に受ける仲になった。週3日授業を一緒に受けて、私はあなたへのイメージを変えるほかなかった。
 私より先に予備校に入っていたあなたは、私にオススメの先生を教えてくれた。自習室で勉強するのも、休憩時間に食事に行くのも、帰るのも、何をするにも二人は一緒だった。
 予備校に入ってから数ヶ月も経つと私たちにはお互い以外にたくさんの友達ができた。 それでもやっぱり私たちは常に一緒だったし、1人で予備校にいると必ず「あれ?今日は1人なの?」と尋ねられるほどだった。
 高校二年の夏、隣同士だった机が離れた。教室の端と端に座り、あなたは私とは違う女の子と仲良くしゃべってた。休み時間になるとあなたは他の子と食事をしにいった。
 辛かった。
 夏休みが終わる頃、私の隣にあなたが座っていた。
 高校三年の冬、あなたは私に志望校を教えてくれた。私たちはライバルだった。今まで以上に私たちはお互いを意識した。
 センター試験当日、その日は本当に寒かった。私とあなたは、試験会場に一緒に向かった。私たちの口からは言葉ではなく白い息が吐き出された。かじかむ手をコートに入れて真っ白な雪で覆われた。道を会場に向けてただ歩いた。
 あなたは門のところでこっちを向いた。「寒いでしょ、これあげる。」
 私の手にはホッカイロ。ホッカイロは私を一気に暖めた。冷たくなっていた体だけでなく緊張した私の心も暖めてくれた。
 大学三年の春、私たちは今別々の大学に通っている。
 『今までツライ時も楽しい時も、いつもいっしょにいてくれてありがとう。これからも一緒の大学にいって、一緒にいたいね』
 そう書かれたホッカイロを私は今も大事に持っています。そしてこれからも。
 あさりん、ホッカイロありがとう。

(2008年5月15日発表/3年・星ともみ)

E.優しい違和感

E.優しい違和感

「次は、パンダを観に行こうよ!!!」。「えー、私はキリンが見たい」。「じゃぁ、両方見よう!!」と、はしゃぐサークルの後輩たち。
 ちょうど一年前の春に、私は上野動物園にサークルのイベントで行くことになった。
 上野動物園に来るのは、10年ぶりだ。動物園に来るまでは、楽しみだったはずなのに、動物を見る度に感じる違和感…。なんでだっけ…???
 それは、私がアフリカのケニアに行ったときのことを今でも忘れられないからだった…。

 2006年、8月15日。私は、アフリカ大陸のケニアという国にある「ツァボ国立公園」というところでゲームドライブ(車内からの動物観察)を経験した。
 この国立公園の大きさはちょうど四国の面積と同じだという話を聞き、日本のサファリパークなど、比べものにならないと思った。車内では、7人の一緒に乗車した人たちで、窓にべったりとくっつき、目を丸くして、動物はいないかと辺りを見回していた。
 まず現れたのは、ダチョウ。歩く速さが、意外に早くてびっくりした。ダチョウは一羽しか見られなかったけれど、これから、もっと多くの動物が見られるのではないかと、みんな興奮した。
 そして、次々と動物が現れてきた。
 特に印象的だったのは、3匹の雌ライオンが象を狙っていた時のことだった。このままでは象が捕まってしまうのだろうかとドキドキしながら私たちは観察していた。しかし、その私の予想とは裏腹に、象が「パオーン」と鳴いたと同時に、猛スピードで走り出し、ライオンを追い払ってしまった様子は、迫力満点だった。
 また、象の家族がちょうど私たちが乗った車の前を横断したこともあった。お母さん象、お父さん象、そして、子象がゆっくりと通り終わるのを5分以上待たされたこともあった。
 夕暮れ間近の時には、バッファローの大群を見ることができた。運転手さんのセイルマンさんによると、大群の長さは「600メートルある」とのことだった。
 このように、数々の動物の生活を見ることで、私はあることを思った。
 それは、ここでは、人も象も猿もみんなみんな同じ。対等なはずの関係が、なぜ守ることができないのだろうか。動物園のように、一方的に動物を閉じこめて楽しんでいる私たちの行動が恥ずかしく思えた。
 また、自然の偉大さも実感した。太陽の暖かさ。風の強さ。雲の形。雨の恵み。自然があって、私たちが存在している。そのことを忘れてはいけないと思った。
 私は、ゲームドライブを通して、動物や自然の原点が見えた。そんな気がする。
 私は動物園に行って感じた、この違和感をこれからも大切に持ち続けたい。そしたら、自分が人にも動物にも自然にも、思いやりをもてそうな気がするから。

(2008年5月6日発表/4年・卯野友美)

F.ひとりきりでも

男は、目を覚ました。ボロアパートの窓からは、わずかな日差しが降り注いでいる。
 もう時計は朝の9時を指しているが、今日は土曜日だ。もう少し寝ることにしよう、と決めて、彼はまた布団をかぶる。
 また、目が覚めた。今度は11時だ。「あーあ、寝すぎたな・・・」 それでも、今日の予定は午後と夜だ。空腹を満たすべく、昼飯でもと思った彼は、家を出た。
 今日の昼飯は前から行こうと思っていた、駅前のラーメン屋に決めた。男は食券を買い、店員に渡す。あとはカウンターから、ラーメンが作られる様子をひたすら眺める。
 やがてラーメンが運ばれてきた。彼は黙々と食べ、「ご馳走様」と言って店を出た。「そういえば、今日人と言葉を交わしたのはこれが初めてかな・・・」 ふと彼は思った。
 彼は自分自身で無口であることを自覚している。だからと言って暗い性格というわけでもないと、彼は思い込んでいる。ただ、その無口が災いしたのか、友達は多くはないし、彼女なんてのはいるわけもない。だから、今は一人暮らしだ。仕事の上では言葉を交わすことは当たり前のようにしているものの、仕事以外となると途端に無口になってしまう。無口は損だなと思いつつ、今さら習慣を変えるのも気が進まない。そんなことを、彼は考えている。
 「そういえば、今日は髪を切りに行くんだったな」。彼はバスに乗って街へ出かけた。
 社会人の何年目からか、彼はこの美容室に通っている。いまや顔なじみの美容師ととりとめのない話を交わし、髪をすっかり切り終えた頃には、午後の4時を過ぎていた。
 この街に来た理由は、もうひとつある。1ヶ月前に、中学校時代の同級生から「久しぶりに会わない?」とクラス会の誘いを受けていたのだ。この街は、彼の実家にも比較的近く、子供の頃からよく遊びに行ったものだった。それにしても、何年ぶりの再会だろうか。他のみんなはどうしているのだろうと思いながら、公園をぶらぶら歩き、本屋で立ち読みと、寄り道しつつ会場の居酒屋へと彼は向かう。
 やがて時間になった。久しぶりに顔をあわせる奴らばっかりだな、と思った。卒業して以来、彼は街から離れた高校に通うようになり、それ以来ずっと疎遠になっていたのだ。みんな、いろいろな仕事に就き、中には結婚した者もいる。
 それぞれと話をし、酒を酌み交わす。
 いつの間にか酔いがまわってきた。
 「あれ?」 気がつくと彼は、周りの輪から取り残されているような気がした。
 「そういえば、俺は昔からシャイな奴と思われていたし、しょうがないのかな・・・」。 話したいことは山ほどあったはずだったが、時間はもうない。クラス会はお開きになった。
仲間と別れた彼は、バスを降りて、家の近くの道を歩いている。もう3月とはいえ、まだ寒さは相変わらずだ。
 ふと、辺りがいやに静かなことに気がついた。他に聞こえるのは、時折行き過ぎる車の音と、自分の足音だけだ。
 「そうだ、この静けさはひとりじゃなきゃわからんさ。別に孤独を愛するだの、己と向き合うなんていうしゃらくさいことを言うつもりはないけど、今はひとりがいい。だから、しばらくひとりにさせてくれないか・・・」
 そんなことを考えながら、彼はアパートへと帰っていく。

(2008年6月17日発表/4年・高橋芳典)

G.くうちゃんと丸田家の愛の物語

名前:丸田空太(くうた)
 性別:オス
 年齢:4歳
 犬種:ビーグル(小型)
 性格:わがまま王子
 特徴:短い足と、メタボなお腹
 通称:くうた、くうちゃん、ちっくん等
 以後、お見知りおきを。

 彼に丸田家のアイドルの座を奪われてから早5年…。
 可愛い問題児な彼がやってきてからは、平穏だった丸田家が一気に慌ただしくなりました。何が問題かっていうとですね…。まず、未だにトイレじゃない所でトイレします。この前なんて、私達が使うトイレの中で用を足していました。いやいやくうちゃん…、残念ながら便器は使えんよ。どうやら彼は自分が人間であると思っているようです。
 次に、食い意地がすごい。以前、私のケーキを食べようとしたのを怒ったせいで、彼と数日間、険悪なムードになりました。性格悪すぎます。
 そして最悪なのが、よく噛むんです、彼。抱っこしようとしただけで唸って噛もうとします。でも父の前だと甘えっ子のぶりっこなので、怒られません。性格悪すぎます。
 おまけに、ストーブが大好きで、私がストーブにあたっていると「どけ」と言わんばかりに足をカリカリ引っ掻いてきて場所を奪われます。自己中野郎です。
 まあ、そんなくうちゃんですが、見た目はとっても可愛いうえに外面が良いので、読売新聞のペットコーナーにぜひ載せさせてくれと、編集の方からオファーがあり、新聞にも載ってしまった自慢の愛犬でもあります。問題児だろうと、やっぱりとても可愛いですし、大好きです。

しかし、この問題児くうちゃん、4年前に1度死にかけているのです。肺に水がたまり、呼吸がうまくできない状態になってしまいました。動物病院に連れて行くも、体が極限まで衰弱してしまっていたため、手術は不可能。肺から水を出す薬の投与のみの治療になるが、回復する可能性は数パーセント。もって今日1日の命だと宣告され、家に連れて帰って最期を看取るか、数パーセントの可能性に懸けて病院で治療を続けるか、という選択を迫られました。
 私達は数パーセントの可能性に懸け、くうちゃんを病院に預けることにしました。まさかこんな事になるなんて。あまりに残酷すぎる現実に頭がついていきませんでした。私はただただ祈ることしかできず…。その夜、寝ないで母と千羽鶴を折ったのを覚えています。
 そんな私達の想いが通じたのか、奇跡的に一命を取り留めました。連絡があってから、急いで病院へ行って診察室の中へ入ると…ケースの中にぐったりと横たわっているくうちゃんの姿が。「くうちゃん、くうちゃん」と呼ぶと、衰弱しきって動かない体を、必死にこっちに傾けようとしています。
 獣医さんがこうおっしゃいました。「いやぁ、回復したのは奇跡ですよ。よっぽど、ご家族の元に戻りたかったのでしょうね。この子の生命力には驚かされました。」
 家族…。そっか、この子は私達の家族なんだ。
 本当の母親から引き離されて、私達がこの子を買い取ってから、この子は私達の家族になったんだ。この子にとっては、丸田家が全てなんだ。丸田家が世界なんだ。
 犬と人間。私達とくうちゃんは、全く種類が違う生き物。なのに、私達の姿を見つけた途端に「帰りたい」と鳴くくらい、私達に懐いてくれている。信用してくれている。すごくないですか? 違う種類の生き物でも愛せるんですよ。ペットと飼い主の関係って、本当に素晴らしいものだと思います。くうちゃんの私達に対しての想いに、とてもとても感動しました。回復してくれて、本当に良かった。
 1つだけ、この子に聞いてみたいことがあります。「くうちゃんは、産んでくれた本当お母さんのことを覚えてる?」 もし覚えているのだとしたら、くうちゃんが寂しいと思わないように、本当のお母さんの分まで、たくさん、たっっくさん、愛してあげようと思いました。
 あれから約3年が経ちました。後遺症で、たまに変な呼吸をしてしまう事もありますが、今日も元気にイタズラしてます。そんな可愛くてわがままで問題児なくうたに振り回されるのも、そんなに悪くはないな?と思う丸田家でした。

(2008年6月24日発表/4年・丸田結香)

4.編集後記

 「東京人」観察学会ニュースNo.13を、観察学会ウェブの改定を行った2009年3月1日にお届けします。

 今年度もいろいろありました。第4回“「東京」を観る、「東京」を読む。”展も成功裏に終えることができました。共催者のATP(社団法人 全日本テレビ番組製作者連盟)の鬼頭春樹専務理事並びに日本大学の中瀬剛丸教授には、改めて心より厚く御礼申し上げます。詳細やその他の事項に関しては、本ニュースやゼミブログ、ウェブ版ゼミ日誌などをご覧いただければ幸いです。

 今号でも、「現役ゼミ生の文章表現力向上を目指した実践講座」(この講座の意図や進め方などに関しては、2004年10月18日発行の観察学会ニュースNo.9の「編集後記」をご参照下さい)によって投稿された文章からセレクションした7本の「優秀作」を掲載しました。昨年の9本に比べると掲載本数が少なく、また1本当たりの分量が大幅に短くなっているのが気にかかるところですが、「一定の水準」はかろうじて維持されていると受け止めておきたいと思います。


3月25日に4年生が巣立っていきます(ゼミブックレットを残してくれます)。第5回展の企画案もほぼ固まり、2月終わりに企画書を学部に提出しました。新聞ジャーナリズムとのコラボレーションが実現する見通しです。ご期待下さい。

(ゼミ担当者・後藤範章)
<編集・発行:「東京人」観察学会事務局>

〒156-8550
東京都世田谷区桜上水3-25-40
日本大学文理学部社会学科 後藤研究室

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