2011年7月9日(土) 東京探検団 「そうだ、東大にいこう」

本日は、4年の新井さんが企画した「東京探検団:そうだ東大に行こう」でした。
日にちは、7月9日(土)11:00?16:45(予定)。
天気は、さわやかすぎて暑すぎる晴れでした。

予定では
11:00に丸の内線本郷三丁目駅集合にから、
東大構内見学→東大学食で食事→大学生協視察→東大コミュニケーションセンター
→弥生美術館・竹久夢二美術館→樋口一葉旧居跡・坪内逍遥・炭団坂
→解散
の順番です。

参加者は・・・、
4年 新井、市川、今宮、岡野、川添、深瀬、本田、矢崎(欠席)
3年 新、渡辺

以上、欠席者がいたため参加者は9名でした。

集合は11時に丸の内線本郷三丁目駅。
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↑本郷三丁目駅

・・・のはずが、4年生のほとんどが遅刻するという失態。
反省しましょう。

30分遅れで全員集合し、いざ出発。
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↑テンション上がりまくりの4年3人衆(左から市川・岡野・川添)
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↑4年川添君「東大に行く道は俺に任せろ。」

東大に行く道の途中に自民党の鳩山邦夫氏の事務所を発見。
シャッターは閉まってました。
有名な政治家の事務所が近くにあるのも東大の威信を高めます。
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↑鳩山邦夫氏の事務所

暑い中トコトコ歩いて、
ようやく到着。

有名すぎる東大赤門前で、集合写真をパチリ。
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↑東大赤門前

<東大構内見学>

まずは東大の構内を見学してみましょう。

赤門をくぐって、まず発見したのがマンホール。
このマンホールには
「東大」の文字が刻まれていました。
日大でもやってほしいです。
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↑東大マンホール

東大の構内にはところどころに銅像が見られます。
東京大学の関係者で、学問の世界における偉大なる功績を残してきた
人々です。
見たところ明治時代に活躍した人の像が多かったです。
高校時代に日本史で学んだ「お雇い外国人」のベルツの像もありました。
ベルツはドイツの医学者で大日本帝国憲法発布時の様子を記した『ベルツの日記』で有名でしたね。
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↑エルヴィン・ベルツ(左)とユリウス・スクリパ(右)の像

スクリパもドイツの医学者です。
近くにあった解説文によれば、
二人は「内科外科学を指導し、我が国近代医学の真の基礎を築いた恩人」だそうです。

次はなんとなくアメリカのリンカーンの像に似てなくもない濱尾新の石像。
濱尾は、第3代と第8代の東大総長です。文部省に出仕し、文部大臣にもなっています。
東大の安田講堂や銀杏並木は濱尾が設計したものだそうです。
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↑濱尾像と4年3人衆(左から川添・岡野・市川)

土曜日にも関わらず、構内に学生がたくさんいました。
東大にはやはり頭のよさそうな学生が多いなと歩きながらも感じていましたが、
東大は勉強ばかりじゃありませんでした。

グラウンドの中をのぞいてみると、
筋肉隆々な男たちがラグビーやフットサルを興じていました。
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↑東大グラウンド

東大構内を色々歩いてきましたが、
本当に暑い!日差しもきつい!7月9日の最高気温は32.5度を記録しました!
汗が止まらなく、ハンカチやタオルが手放せませんでした。
しかしそれでも歩くのが東京探検団。
ひたすら歩きます。
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↑東京探検団一行

掲示板も一味違います。
ちょっと洒落てますね。
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↑4年川添君と掲示板

<東大学食で食事>

お昼の時間になったので、東大内の学食(中央食堂)で
昼食をとりました。
食堂内は大混雑!!
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↑中央食堂

食券を買うにも長蛇の列を並ばなくてはなりませんでした。
食券売り場が自販機だけでなく、手売のところもあって新鮮でした。
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↑食券手売窓口

窓口の方にお勧めは何かと尋ねたところ、
赤門ラーメン(380円)が人気だとの事。
早速頼んで食べてみました。

これがホントにおいしい!!
ピリ辛で味のクオリティも高いです。
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↑赤門ラーメンを食べてご機嫌な4年岡野君(上)、市川君(下)

しかし、思いのほかボリュームがありすぎた赤門ラーメン。
食べても食べても減らないその量に感服です。
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↑苦戦する4年岡野君

食べきれない分は、3年渡辺君が食べてくれました。

中央食堂には学生ではないと思われる子連れのお母様方や、
観光に来ているような人もいました。
日大の食堂ではあまり見られない光景です。
また、食堂内が比較的静かでした。
日大の食堂では昼頃の時間になると、
同じテーブル内の人の話も聞き取りづらくなるほど
騒がしいこともありますが、
日大以上に混雑していた東大の食堂ではそうしたことは
感じられませんでした。
大学の学生性が違うのかもしれないですね。
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↑食堂にいた子どもたち

<大学生協視察>
昼食後は大学生協の視察です。
東大の大学生協が充実しているとの噂。
実際に確かめてみなくては!

入ってみると、
よくあるスーパー的な雰囲気を持った大学生協でした。
規模が思いのほか大きくて驚きです。
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↑店内の様子

東大クッキーや赤門ラーメンのインスタント版等が売ってました。
もはや東大は観光名所になっています。
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↑東大印の商品の数々

なんとプロテインまで売ってました。
だから、グラウンドにいた東大生はマッチョな人ばかりだったのか(笑)
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↑プロテインと4年市川君

実はこの大学生協は2号店で、
1号店が存在するとの事。
2号店は生活品が中心で、1号店は家電用品などが中心となっているそうです。
しかし、残念ながら1号店は平日のみの開店で、土曜日の本日はやってませんでした。

大学生協を出ると安田講堂前でなにやらやっているのを発見。
小型飛行機の実験でしょうか。
随分本格的です。
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↑小型飛行機の実験?

<東大コミュニケーションセンター>

次は東大コミュニケーションセンターです。
東大コミュニケーションセンターは、
東京大学と社会・世界との双方向的なコミュニケーションの拠点として、
生まれました。
UとTを組み合わせた東京コミュ二ケーションセンターのデザインのコンセプトは、
「知性の顔」、モチーフは「The University of Tokyo」の頭文字UT。
自由で開かれた新しい東京大学の顔をデザインしています。
「社会とあなたと、いつも向き合っていたい」が、
コミュニケーションセンターからのメッセージです。

ここでは、東京大学内で行われた研究活動から生まれた商品が販売されています。
世界の震源が記された地図や銀座和光とのコラボレーションチョコが売られたりしています。
自分達の研究成果が発表されるだけでなく、商品になったりして形に残り、
世間の人たちの手に渡ることは研究するものにとって、
大きなモチベーションになるかもしれませんね。
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↑世界震源分布地図
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↑UTチョコ

最後に東大の安田講堂をバックに記念撮影をしました。
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↑集合写真

<弥生美術館・竹久夢二美術館>
東京大学を後にして、
今度は弥生美術館・竹久夢二美術館です。
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↑弥生美術館・竹久夢二美術館
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↑美術館横の石碑その1
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↑美術館横の石碑その2と4年本田さん(左)3年新さん(右)

弥生美術館には、
大正?昭和初期にかけて一世を風靡していた挿絵画家の高畠華宵の作品が
多数展示されています。高畠の作品は『少女画報』『少女の友』『婦人世界』
といった少女雑誌・婦人雑誌の表紙や挿絵、便箋表紙に端麗な乙女の絵を描いて
読者の熱狂的な支持を得ました。また現在も、高畠の絵にに描かれた着物が、アンティーク着物を愛する乙女たちから熱い注目を集めています。彼の絵からは大正ロマン、昭和のモダニズムが彩られた当時の女性たちの姿が見られます。

また、隣に立てられた竹久夢二美術館には、大正時代を代表する画家・竹久夢二が描く、
美人画は"夢二式"と称され、当時、大変な人気を博しました。
S字にくねるほっそりとした肢体に大きな手足、愁いを帯びたうりざね顔、
長いまつげと伏し目がちな眼、そして焦点の定まらない虚ろな視線・・・
これらの特徴を持つ〈夢二式美人画〉は、センチメンタルな雰囲気を醸し出し、
男性のみならず多くの女性をも魅了しました。

高畠華宵の絵には女性ばかりでなく、美少年の絵も多数ありました。
こんな男居ないだろとは思いつつも、
絵の美しさは確かに素晴らしいと思いました。
現代のデジタル技術では表現できないのではなかろうかと思わされるほどです。
これらの絵を見ているとタレントの三輪明宏氏を思い出しました。
デビューした当時の世間の美少年像が高畠華宵の絵の通りだったのでしょうか。

弥生美術館・竹久夢二美術館に展示されていてる絵は教科書に出てくるような
絵が多く、大正・昭和初期の風俗を感じられる貴重なところだったのですが、
残念ながら、美術館内は撮影禁止だったため、写真に残すことが出来ませんでした。

<樋口一葉旧居跡・坪内逍遥旧居跡・炭団坂>

美術館のあとは宮沢賢治・樋口一葉旧居跡・炭団坂です。
観光名所のように目立ったものではなく、
町中にあるちょっとした歴史的なものであるため、発見が難しかったです。

そのため何回も道を尋ねることがありました。
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↑道を尋ねる4年新井さんと4年市川君

東京大学の付近の町なので、
都市のように発展した町並みを想像していたのですが、
意外にも町はのんびりしていて、
住みやすそうな雰囲気がありました。
むしろ住宅街というべきかもしれません。
細い路地が多いこともこの辺りの特徴なのでしょう。
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↑静かな町並みと東京探検団

樋口一葉の旧居前にあるのが
「樋口一葉の井戸」。
この井戸を樋口一葉は頻繁に利用したとされ、特に洗濯に使用されたといわれます。
現在その井戸水は飲用には適しませんが、地元の人々は植木の水などとして今でも利用しているそうです。
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↑樋口一葉の井戸と4年岡野君

また途中で見つけたのが、
「鐙(あぶみ)坂」。
近くにあった案内板によれば、
本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端がゆるく右に曲がっている坂である。
名前の由来は「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」とか「坂の形が鐙に似ている」とか諸説あるようです。
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↑鐙坂

次は坪内逍遥旧居跡と炭団(たどん)坂です。
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↑炭団坂

また近くの案内板によると、
本郷台地から菊坂の谷へと下る急な坂である。
名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれています。
台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていたため、
今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことでしょう。

炭団坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住んでおり、日本史で有名な「小説神髄」や「当世書生気質」を発表しました。

今回の東京探検団はここまでです。

最後に集まって、今回のフィールドワークの討論をしました。
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↑討論する東京探検団

そこで、挙げられたのが、

・東大の学生以外の人の多さ
・東大の観光地化
・西洋風の東大キャンパスについて
・東大周辺の古い町並み
・文京区の都市機能と町機能の混在

・・・でした。

今回の東京探検団は暑さとの戦いといっても良いほど
暑かったです。
熱中症の心配もありましたが、無事に終えられたことがなによりでしょう。
しかし、こういう機会がなければ日本最高学府の中を見ることもなかったので、
私達学生にとっては大変良い経験になったと思います。
土曜日にもかかわらず、大学に出向き研究している東大生に負けないように、
勤勉に過ごしたいものです。

皆さん、お疲れ様でした。

<おまけ>
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↑東大生のようにクールにキメる4年川添君
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↑美女に話しかける3年渡辺君
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↑「大いなる祝福」&3年渡辺君(左)4年川添君(右)
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↑日焼け論を語る4年市川君(上)と3年渡辺君(下)
文責:深瀬雄幹(2011年度4年ゼミ生)

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