5.江戸千代紙店の錦絵 ―江戸絵の世界―
錦絵を模した大きな看板が目立っている。江戸千代紙の専門店として名高い「いせ辰」谷中店である。幕末の元治元(1864)年に、錦絵や江戸千代紙の版元として創業された。
千代紙は折り紙、ではない。元々は、公家が包装などに用いた雅な文様を施した高級和紙、京千代紙を指した。江戸時代になって町人文化が花開き、錦絵(多色摺りの浮世絵版画)が生まれると、和紙に町人好みの華やかで多彩な文様を木版色摺りした江戸千代紙を、版元が商品化して流行らせた。浮世絵師が図案を描き、彫師がそれを版木に起こし、摺師が手摺りする。つまり、錦絵と江戸千代紙は同じ工程で作られる「双生児」なのだ。
「いせ辰」は、江戸の灯が消えかかっていた時代に誕生し、146年の長きに渡って生き残ってきた。錦絵や千代紙の版元、浮世絵ナプキンの欧州への輸出、江戸木版画教室、江戸犬張子の工房、江戸千代紙や紙工芸品の卸と小売・・・。その足跡そのものが、江戸から受け継ぐ「多色摺りの絵柄」で彩られているかのように“見えて”くる。
千代紙は折り紙、ではない。元々は、公家が包装などに用いた雅な文様を施した高級和紙、京千代紙を指した。江戸時代になって町人文化が花開き、錦絵(多色摺りの浮世絵版画)が生まれると、和紙に町人好みの華やかで多彩な文様を木版色摺りした江戸千代紙を、版元が商品化して流行らせた。浮世絵師が図案を描き、彫師がそれを版木に起こし、摺師が手摺りする。つまり、錦絵と江戸千代紙は同じ工程で作られる「双生児」なのだ。
「いせ辰」は、江戸の灯が消えかかっていた時代に誕生し、146年の長きに渡って生き残ってきた。錦絵や千代紙の版元、浮世絵ナプキンの欧州への輸出、江戸木版画教室、江戸犬張子の工房、江戸千代紙や紙工芸品の卸と小売・・・。その足跡そのものが、江戸から受け継ぐ「多色摺りの絵柄」で彩られているかのように“見えて”くる。
写真撮影者:日本大学4年 河村雄一
2010年5月25日(火)14時54分
いせ辰谷中店(台東区谷中2丁目)にて撮影
2010年5月25日(火)14時54分
いせ辰谷中店(台東区谷中2丁目)にて撮影
地図
大きな地図で見る