29.汐留的文化財復元例 ―歴史的価値の商品化―

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 1872(M5)年、新橋?横浜間に日本初の鉄道が走った。「汽笛一声新橋を♪」と唱われた新橋駅は、1914(T3)年に東京駅ができるまで日本の東京の中央駅だった。しかし、当時の新橋駅は現在の新橋駅ではなく、汐留にあった。東京駅の開業に合わせて、新橋駅は汐留駅に、烏森駅が新橋駅に改称され、汐留(旧新橋)駅はいつしか表舞台から姿を消した。
 「旧新橋停車場」は、1991年に汐留再開発に伴う発掘調査で発見され、2003年4月に復元された。鉄道発祥の駅は、再開発がなければ日の目を見ることがなかった、埋もれた「歴史的遺物」であったのだ。復元に際して、多くの市民は当時の駅舎の忠実な再現を望んだ。しかし、外観の復元と展示室の設置がなされはしたが、内部にはレストランが入るなど商業主義の香りが漂う。再開発で再発見され、表舞台に還ってきた「旧新橋停車場」。置き去りにされていた過去性・歴史性を商品化して、「利益」を生み出す装置にする姿からは、最先端の業務・商業地区「汐留」の今日的なありようが浮かび上がる。
写真原作者:日本大学4年 齋藤秀和
2003年7月27日(日)21時頃
旧新橋停留所(港区東新橋1丁目)にて撮影

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