1.東京新聞 水の都

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 自然の営為か、治水の跡か。葛飾区内を流れる中川は蛇行を重ね「中川七曲がり」とも言われる。
 同区郷土と天文の博物館の橋本直子学芸員が説明する。「縄文時代、海が埼玉・川越、茨城・古河あたりまで入りこんでいた時代があり、その後、土砂を堆積(たいせき)して陸化が始まった」。高低差の少ないこの地域で「川が低いところ低いところへ、と流れた結果」。言い換えて「川が悩んだ跡」だそうだ。
 人の手が入ったのは八代将軍徳川吉宗の享保年間で、川幅を拡幅し今の姿となっている。
写真撮影者:笠原和則
掲載日:2007年11月1日

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