11.裏世界入門:鶯谷篇 ―ウラのオモテのウラ―
網の目状の路地に63軒ものラブホテルが乱立する、JR鶯谷駅北口。下町の小さな駅に位置する性空間の元を辿ると、日本一のソープランド街「吉原」(台東区千束3・4丁目一帯)の存在に行き当たる。明確な最寄駅のない吉原にとって、鶯谷は往来の玄関口になっている。吉原の店の多くは予約客送迎のために鶯谷駅を利用し、また吉原遊びの延長線に鶯谷ラブホテルが利用されるため、ここは「吉原の受け皿」としての役割を担っているのだ。
両者の関係は、大正期まで遡ることができるようである。かつて江戸唯一の公許であった吉原は、1923(T12)年の関東大震災で全焼し遊郭の歴史に一旦は幕を下ろすも、すぐに再建された。だが、一部の関係者が鶯谷(根岸)に流れて花街を形成し、吉原での派手な遊びに不都合がある人々を呼び込む「隠れ遊びの里」として栄えるようになった。
吉原も鶯谷も同じ「裏世界」であるが、華やかに脚光を浴びる吉原に対して、裏方の存在として役割を果たしてきた鶯谷。今なお続くこの関係、まるで太陽と月のように…。
両者の関係は、大正期まで遡ることができるようである。かつて江戸唯一の公許であった吉原は、1923(T12)年の関東大震災で全焼し遊郭の歴史に一旦は幕を下ろすも、すぐに再建された。だが、一部の関係者が鶯谷(根岸)に流れて花街を形成し、吉原での派手な遊びに不都合がある人々を呼び込む「隠れ遊びの里」として栄えるようになった。
吉原も鶯谷も同じ「裏世界」であるが、華やかに脚光を浴びる吉原に対して、裏方の存在として役割を果たしてきた鶯谷。今なお続くこの関係、まるで太陽と月のように…。
写真原作者:日本大学3年 梶山剛志
2003年3月30日(日)19時28分
JR鶯谷駅北口(台東区根岸1丁目)にて撮影
2003年3月30日(日)19時28分
JR鶯谷駅北口(台東区根岸1丁目)にて撮影
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