22.我が輩は猫だけど・・・ ―自由と不自由をめぐるヒトとネコの論理―
渋谷区笹塚のとある公園の一角。温かい日差しの下で、うとうととまどろむ猫。「この写真のどこに社会学が?」とお思いだろう。よく見ていただきたい。この網は、子供達が素手素足で遊ぶ砂場に猫や犬が入って糞尿を垂れないようにかけられたものである。後方の壁の文字も、猫や犬に対して排他的だ。都市は人間を自由にするが、不自由をも強いる。朝夕の通勤ラッシュ、うさぎ小屋と称されるような住宅事情、道路はどこもかしこも渋滞で、駅もデパートも人でごった返している。どこへ行こうにも、何をしようにも、自由にはならない。
自由が多い反面の様々な不自由は、犬や猫ヘも強要される。しかしこの写真の中の猫は、人間によるしめ出しをまるであざ笑うかのように、勝手気ままにくつろいでいる。不自由を強いられながらも、実は自由。人間の論理は、猫には通用しない。
自由が多い反面の様々な不自由は、犬や猫ヘも強要される。しかしこの写真の中の猫は、人間によるしめ出しをまるであざ笑うかのように、勝手気ままにくつろいでいる。不自由を強いられながらも、実は自由。人間の論理は、猫には通用しない。
写真原作者:法政大学4年 太田敦