12.インビジブル・ミラー ―皇居の後ろ姿―

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 皇居に隣接し独特の空気が漂う丸の内地区は、約100棟のビルに4千以上の事業所を集め、20数万人が働く一大ビジネスセンターである。ここを90年以上も見守る日本のセントラル・ステーションである東京駅(丸の内駅舎)が、私たちに静謐に語りかけてくる。
 皇室専用の玄関前に立つ皇太子夫妻(1)。普段は固く閉じられているが、駅内部には他にも皇室専用施設が幾つもある。東京駅は、日露戦争に勝利した日本が国威を発揚・誇示する意図を込め、幅73mの行幸通りで皇居と直結する「天皇の駅」「帝都の顔」として、1914(T3)年に創建された。赤煉瓦造りの荘厳な3階建ての駅舎だった。しかし、東京大空襲による焼失と応急修理によって、1947年に現在の2階建て(2)に改修。1987年の国鉄解体時には、取り壊して再開発する構想が浮上したが、市民による幅広い保存運動が巻き起こり、駅舎は「形態保全」された。その後、東京都とJR東日本は駅舎の「保存・復元」を決定し、2007年1月に創建当初の姿に復原する工事を開始する。完成するのは、2011年の予定である。
 通りから東京駅を望む景観(3)には、地区の歴史が刻まれている。旧丸ビルが完成した1923年以降、スカイラインは31m(駅前の丸ビル(右)と新丸ビル(左)の基壇部の軒線の高さ)を越えることはなかった。ところが、1966年に始まった「美観論争」を経て、1974年に竣工した東京海上火災ビル(赤茶色)を機に100mを突破、2002年には180mの丸ビルが、2007年には198mの新丸ビルが完成。もはや超高層化を止めることは誰にもできない。
 丸の内の高さは、天皇の象徴への転換、宮城崇敬の希薄化、経済発展とグローバル化に伴ってアップしてきたように思える。だが、別の見方も成り立つだろう。宮城(郭)は、皇居(天皇の居所)と丸の内と東京駅から構成され、しかも完成へ向けてのエンドレスのプロジェクトを進めている最中なのだ、と。衛兵(高層ビル)を従え、行幸通りという回廊の向こうに「東京駅門」がそびえ立つ。赤レンガ駅舎は、「見えざる鏡」に映し出された、「空虚な中心」(R.バルト) の「後ろ姿」なのだ。
写真撮影者:(1)(3)日本大学95年卒 横川峰生 (2)日本大学3年 若宮祐樹
(1)(2)2005年7月1日(金) 8時半頃 東京駅(千代田区丸の内1丁目)にて撮影
(3)2005年7月1日(金) 8時半頃 行幸通り(千代田区丸の内2丁目)にて撮影

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