1994年 イチロー200本安打
1994年、オリックスの鈴木一朗が史上初のシーズン200本安打を達成。打率は3割8分5厘と惜しくも4割に届かなかったが、天才ぶりを発揮した。この年に一軍レギュラーに「イチロー」の名で昇格されたばかりの鈴木は一躍フィーチャーされる。その後は記録は彼が塗り替えるためにあったと云っても過言ではない。2000年に米大リーグ、シアトルマリナーズに移籍するまでの7年間で、数々のレコードを樹立する。7年連続の首位打者、これは張本勲と並ぶ日本記録。7年連続の日本プロ野球ベストナイン(外野手)。7年連続のゴールデングラブ賞(外野手)。1996年までの連続MPV、この3年連続は山田久志しか達成していない。シアトルマリナーズに移籍してから2008年までの記録もすさまじい。8年連続200本安打、これは1894年から1901年までウイリー・キ―ラ―が達成して以来、107年ぶりの快挙。日米通算3000本安打、これは張本勲以来、二人目。ただし2175試合目に達成したため、タイ・カップの2135には届かなかった。8年連続100得点。さらに同一シーズンで8度の「200本安打&100得点」の達成は、ルーゲーリック以来、二人目。そして8年間連続達成は史上初。シーズン安打数213は両リーグでトップタイ記録。3年連続両リーグ最多安打は史上7人目でメジャータイ記録。連続8シーズンで最多安打、通算1719本は新記録、従来の記録はウイリー・キ―ラ―。メジャー通算300盗塁も新記録、日米通算で500盗塁も新記録。さらに8年連続の「打率3割」「200本安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドクラブ賞」で各々記録を更新した。まさに≪安打製造機≫そのものだ。しかも≪打ってよし・走ってよし・守ってよし≫の3条件を兼ね備えている。米大リーグ関係者からも極めて高い評価を受けている。一例をあげるならメジャーリーグ・スカウトの投票でも、イチローが一位を獲得したのは「ベスト・ヒッター」「ベスト・バッドコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門、二位を獲得したのは「ベスト・バンター」「最速ランナー」「「ベスト・スティーラー」の2部門に昇る。こうしたスーパーマンぶりを下支えしているのは職人的なマインドである。バットやグローブは道具ではなく、自分の身体の一部で大切に扱うし、他の選手の道具には一切触らない。愛用のバットはミズノ製だが、オリックス時代から通して同じタイプを使い、変調をきたせばバットに自分を合わせて調整することを主義とする。スパイクシューズは山陰アシックス製で、片足で260グラムの軽量化が図られているため、たった3試合しか持たないと云う。