1992年 尾崎豊の短い青春 

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1992年4月25日(土)朝5時すぎ、歌手・尾崎豊は、足立区千住河原町の民家の庭に泥酔して倒れているところを発見される。下着姿で衣服が近くに散らばっていた。発見者の住人は110番し、かけつけた警察官が保護、救急車で病院に運ばれる。しばらく休んだ後、起き上がれるようになったので、妻の運転する車で自宅にいったん帰る。しかし再び容体が急変。救急車で緊急入院するが蘇生措置の甲斐なく世を去る。26歳だった。死後診断した医師は酒の過度の摂取による肺水腫と断定した。5日後に行われた葬儀には、雨が降るなかを4万人ものファンが押し寄せる。献花の列は一つ隣の駅を越えて続いていた。これは美空ひばり、吉田茂に次ぐ規模と云う。尾崎豊は3枚目までのアルバムは順調に制作した。明確な視点を持つ詩、それを情緒豊かに音楽にできる表現力。レコード会社は≪反抗する十代の旗手≫としてセールスしたがる。だが本人には納得できない。レコード会社の移籍のことで若い心は傷つく。やがて歌うべきことがなくなる。そして逃げ場をクスリと喧嘩に求め、やがて妻とも亀裂が生じた。周囲の理解者たちは一人去り二人去り、いなくなってしまう。16年たった現在でも尾崎が早朝倒れていた現場には、若い女性ファンからの献花が絶えない。近くの民家の部屋は≪尾崎ハウス≫と名付けられ、所有者の好意で解放され、ファンの交流の場となっている。代表作「I love You」はさまざまな歌手がカバーし、歌われている。全世界でそれらの売上げは1000万枚を超え、夭折した尾崎豊は永遠に若き魂として生き続けている。だがその死に至る過程は、あらゆる青春がそうであるように決して美しくはない・・・。

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