2.生命(いのち)の足跡

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  空き缶集めと靴磨き。「身を置く世界」が分断され、とりわけ弱い者に光が当たりにくい東京の街で、地に足をつけ懸命に生きている。2人の日常は今日も明日も続いており、それぞれの人生を歩み続ける。いのちの足跡をしっかりと刻みつけて。

朝日新聞ロゴリード画像.jpg Photo Story 2015年4月10日 「桜の下」
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  「桜、なんというかねぇ、気持ち変わるよねぇ……」。3月31日夜、花見客が去った東京・向島の隅田川沿いの公園で、石垣俊夫さん(69)がつぶやく。終戦の年に沖縄の石垣島で生まれた。29歳で上京、川崎や大阪・西成などで、肉体労働の現場を転々としてきた。
  今は首都高速の下で生きる。「花見と花火大会はかき入れ時だね」。桜を楽しんだ人々が残していった空き缶を見つめる。買い取り額は1キロで153円。
  明日もまた、生きる糧を求め、歩く。
(写真・文 時津剛)
2015年4月10日 朝日新聞夕刊 1ページ 東京本社
Nマークリード画像.jpg 後藤ゼミナール 2005年 No.6 「足下見つめて55年 ―遠い街『新橋』―」
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  仕事中は顔を上げず、一心に靴を磨く。その姿は職人そのものだが、初めは気恥ずかしさからだったと言う。写真の女性は55年間、ここ新橋で靴を磨き続けている。
  若くして佐渡から上京した彼女は、屋敷での奉公後に結婚。工場が立ち並ぶ足立区内に家を構えた。しかし戦争で夫を失い、収入は絶たれてしまった。そこで幼子を連れてもでき、時間に融通が利くという理由でこの仕事を始めた。場所は靴磨きのメッカであった上野ではなく、「知り合いに見られたくない」思いから距離的に遠い新橋を選んだという。
  しかし、彼女の言う“距離”には、もう一つ別の意味が込められていた。当時上野が上京者の集まるブルーカラーの街であったのに対し、新橋はGHQ本部がある日比谷や虎ノ門・霞ヶ関の官庁街に隣接する上層ホワイトカラーの街だった。この社会階層間の隔たり(身を置く世界の違い)が、負い目をあまり感じずに仕事に精を出させた。
  だから今日も、彼女は新橋で靴を磨くのである。
写真撮影者:社会学科3年 河田宣之
2005年5月10日(木)17時頃
JR新橋駅付近(港区新橋2丁目)にて撮影

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