2.宝塚と東京を結ぶレビュー ―関西人が創った東京―

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760個ものライトが輝くアーチの奥に、“Takarazuka Revue SINCE 1914”の文字が浮かび上がる。若い女性が1人、それを真正面から見据え屹立している。
 兵庫県の宝塚の地で、1914(T3)年に宝塚少女歌劇団を初演に導き、1919(T8)年に音楽学校、1924(T13)年に大劇場を創設した小林一三 (阪急電鉄や阪急百貨店の創業者)は、1934(S9)年に東京宝塚劇場をここ有楽町でオープンさせ、念願の東京進出を果たした。銀座や丸の内に隣接し、地の利が良い有楽町に目をつけたのだった。その後、東京宝塚を縮めた「東宝」に社名を改め、日劇、有楽座、帝国劇場、阪急百貨店・日劇PLEX(有楽町マリオンの半分)、シャンテシネなど、有楽町・日比谷一帯を傘下に収めていった。
 東京の中心に位置する“有楽町”は、「関西の財界人」小林一三が「東京の財界人」となって創り上げていった“阪急の街”でもあったのだ。そして東京宝塚劇場は、小林の想いを受け継いで、東京と宝塚を結びながら阪急阪神東宝グループの根幹で生き続けている。
写真撮影者:日本大学4年 高柳 寛人
2007年8月2日(木)18時30分
東京宝塚ビル前(千代田区有楽町1丁目)にて撮影


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