8.佃 ―変わる勇気、変わらぬ空気―

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 江戸期の初め頃から行われている民謡を歌い踊って先祖供養する念仏踊り(写真上)と、3年に一度、関東では稀な八角形の神輿を担いで行う住吉神社(写真下)の祭は、どちらも都内では唯一佃島(佃1丁目)で継承されている伝統行事である。「佃島」は元々、徳川家康が恩を受けた摂津国佃村(現在の大阪府西淀川区佃)の34人の漁民を江戸に呼び、隅田川と江戸湾に挟まれた島を授けたことで生まれた漁村であった。今日にあっては、東京の中心・中央区にありながら、古い家並みや小さなコミュニティが、隣接する大川端リバーシティに代表される高層住宅群と共存している。
 佃島では、江戸に上る際に故郷から勧請した海上平安の守り神を祭る住吉神社への信仰が、生活の深くまで根付いている。江戸・東京にありながら、先祖から受け継がれた愛郷心と祭りを通じた共同体験が、島内部の濃密な結束を可能にしてきた。また40年前隅田川に橋が架かるまでは独立した島であり、そこで獲った魚で生計を立てていた暮らしも、独自の閉鎖的地域性を育む要因であったと考えられる。こうして、島の小コミュニティは生活の様式を変えることなく続いてきたのである。
 しかし、漁が禁止された高度成長期から、生活は徐々に変容してきている。若者は職を求めて対岸へ、逆に近年の開発で外の人間も多く移ってきた。長年島民だけで構成してきた祭礼組織も、継承問題の深刻化などで転換期を迎えていた。近年では組織の定める基準を満たすだけの熱意があれば近隣住民も参加できるようになり、閉鎖的な共同体の門戸が開かれ始めている。
 祭りの日には、島を離れた住民も帰ってくる。変わらぬ内部の結束を核に外部の力を取り入れて、佃島はその伝統と共に残っていくだろう。近代的なものに押し流されるのではない。受容しつつも巧みに内側に取り込んでしまう強靭さを持つコミュニティは、34人の島民から始まり、これまでもこれからもこうして守られ続けていくだろう。

写真撮影者:(上)日本大学4年 梶山剛志/(下)日本大学4年 加藤麻由子
(上)2004年7月15日(木)20時頃 中央区佃1丁目にて撮影
(下)2004年6月21日(月)14時頃 住吉神社(中央区佃1丁目)にて撮影

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