19.浅草「ハレ」晴れ ―Smiley浅草―

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 写真[1]は浅草寺の雷門。いつもは記念撮影をする観光客が絶えないが、中央の堤燈が畳まれているため、写真を撮る人はほとんどいない。3日間で約150万人が訪れる浅草最大の祭り「三社祭(浅草神社例大祭)」の最中だ。しきたりに則り、一本締めから始まり一斉に三基の神輿を担ぐ。浅草神社の神輿は、浅草寺境内と寺の参道である仲見世通り(写真[2])を通過し、雷門(写真[1])を出て、浅草の街を練り歩く。雷門の堤燈もこの日ばかりは畳まれて、神輿の通り道となるのである。
 浅草寺は約1400年前、郷土の長者と2人の漁師によって建立された。その後3人は別堂の三社権現堂に祀られ、明治維新の神仏分離令で浅草寺と分かれて三社明神社(後に浅草神社)となった。三社祭とはこの3神に奉仕し、祈願を行う行事なのだ。仲見世通りを満面の笑みで歩く神輿の担ぎ手の表情通り、三社祭は神(神社)と仏(寺)を渾然一体として、界隈を「ハレの日」に演出する。
 写真[3]は、浅草寺から程近い六区内の初音小路。明治時代の初期、新政府はまだ残っていた旧幕府の力を一掃するため、上野寛永寺や芝増上寺等と共に浅草寺境内を我が国第1号の公園に指定した。1873(M6)年のことである。これを機に六区が整備され始め、東京一の興業街・歓楽街として発展していくことになる。時代は下って、1973年、JRAの場外馬券場(ウィンズ)が登場し、土日には多くの中年男性で溢れ、馬券場横に位置するここを人で賑わす場所に変えた。彼らは朝から酒を酌み交わし、勝ちを心待ちにする。その表情は終始明るい。平日は客足も乏しく寂しい雰囲気を醸し出す初音小路は、毎週土日に「ハレの日」を迎えるのだ。
 浅草寺は、古くから浅草に人を集める集客装置としての役割を果たしてきた。浅草寺を核にして出来上がった浅草には、人々を笑顔にさせ、街に活気を与える不思議な「ハレの力」が宿っている。
<写真撮影者:(1)社会学科1年 大久保慎也
(2) 社会学科2年 椎木祐一郎
(3) 社会学科3年 石田晴香>

写真[1] 2005年5月21日(土)12時頃
雷門前(台東区浅草1丁目)にて撮影
写真[2] 2005年5月22日(日) 13時半頃
仲見世通り(台東区浅草1丁目)にて撮影
写真[3] 2005年7月2日(土)13時頃
初音小路(台東区浅草2丁目)にて撮影

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