13.市民と天皇

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  闇夜に皇居の周りをひた走る市民ランナー。創建時の姿に復元された東京駅を写真に収める人々。天皇への意識は希薄だ。だが、皇居と一本道で結ばれる東京駅は、「天皇の駅」でもある。市民が足を踏み入れることのできない一線が、そこにはある?

朝日新聞ロゴリード画像.jpg Photo Story 2015年4月24日 「闇を駆ける」
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  皇居・二重橋前、午後10時。車の光跡が行き交う闇のなかを市民ランナーが駆け抜けていく。
  「皇居ラン」。いまや都心のアスリートにとって定番だが、その起源をたどると、半世紀前の奇妙な深夜の皇居一周マラソンに行き着いた。1964年秋、東京五輪の閉会から1週間後、銀座の高級クラブのママやホステスら約80人が力走したというレースだ。アベベの快走と円谷幸吉の健闘でマラソンブームに沸くなか、当時の週刊誌が熱っぽく伝えている。
  2度目の五輪を控えた今も、引きつける磁場は変わらない。
(写真・文 時津剛)
2015年4月24日 朝日新聞夕刊 1ページ 東京本社
Nマークリード画像.jpg 後藤ゼミナール 2012年度 No.9 「東京駅のセントラリティ―1914年から2012年への断続と連続―」

1.

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  2012年6月、創建時の姿に復原された東京駅丸の内駅舎がお目見えした(写真1)。10月1日に全面開業すると、ドーム内でも視線やカメラが向けられるようになった(写真2)。
  東京駅は、東海道・東北・中央・総武・京葉の各線、東海道・東北の両新幹線の7路線で0キロポストが設置される、JRで一番起点が集中する日本の中央駅なのである。だが、東京駅が出来たのは、日本の鉄道が幕開けした1872(M5)年から実に42年も経った1914(T3)年のことだった。日清・日露の両戦争の勝利による国威の発揚を背景に、列強の仲間入りを果たした帝国(皇国)日本に相応しい中央停車場として設計された。横幅335m、総3階建ての荘厳な赤レンガ駅舎は、皇居の真正面に位置する「天皇の駅」の色彩が際だっていた。
  1945年に米軍の東京大空襲による炎上を受けて2階建てに再建されたが、65年もの歳月を経て1914年当時の姿に戻った。2012年の東京駅には、丸の内の、日本の主役が天皇であり続けることを再確認し、かつてのような体制に引き戻そうとする意志が、どこかに漂っている。

2.

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写真撮影者:1.日本大学4年 河野琢実 2.日本大学4年 與那覇博
1.2012年6月24日(水)14時30分 2.2012年10月11日(木)15時20分
1.丸の内ビルディング(東京都千代田区丸の内2丁目4-1)5階より 2.東京駅丸の内北口コンコース(東京都千代田区丸の内1丁目9)にて撮影

朝日新聞 地図



後藤ゼミナール 地図(1)


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東京都千代田区丸の内2丁目4?1

後藤ゼミナール 地図(2)


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東京都千代田区丸の内1丁目9

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