1985年 ファミコン加熱

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1985年9月13日は日本のゲーム開発史上画期的な日であった。任天堂のゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」の発売日で、爆発的に売れたのだった。これがきっかけで2年前から売り出されていた≪ファミコン≫は家庭用TVゲームの代名詞にまでなる。トランプと花札のメーカーにすぎなかった任天堂は、世界のNINTENDOに変身、東証の株価は1万円を超えた。赤と白を基調にしたデザインのゲーム機≪ファミコン≫は、発売開始から20年後の2003年に生産が打ち切られるまで、累計販売台数が日本で1935万台、海外で6291万台に達する。それは「ゲームとアニメの日本文化」の国威発揚に貢献する。任天堂の販売コンセプトは明確であった。(小学生でも買える低価格)ゲーム専用機に特化した高性能?購買意欲を刺激する充実したソフト群。「スーパーマリオブラザーズ」はその典型的なソフトだった。配管工のマリオとルイージの双子兄弟が、クッパ大魔王の城にさらわれたピーチ姫を助け出すというストーリー。親しみやすさと熱中性という二律背反する要素を兼ね備え、日本で681万本、海外で4024万本を売上げた。ギネスブックに≪世界一売れたゲーム≫と記載される。多くのゲームクリエーターたちがこのソフトに刺激され、その後、開発にしのぎを削ることになる。1988年には「ドラゴンクエスト3、そして伝説へ・・・」、通称ドラクエがファミコンで売り出され、朝から若い男性の長蛇の列ができ、あっという間に売切れとなった。日本でのロールプレイングゲームの草分けと云われる。これがブームに油をそそぐ結果となる。≪ファミコンブーム≫は出版界にも飛び火、以降は、人気ゲームソフトの攻略本がベストセラー上位を占める。今日では各地のゲームセンターで過去の名作を鮮明な大画面で楽しむことができ、ゲーセンには若い男の子たちが引きも切らない。

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