1991年 ディスコとDJ

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1980年代後半に始まるディスコブームはバブル崩壊期の「ジュリアナ東京」で有終の美を終える。1991年に芝浦に倉庫を改築して開店した「ジュリアナ東京」は、なにしろ広かった。総面積が1200?、最大で2000人が入れるという都内最大規模。≪ウォーターフロント≫の名で持てはやされた東京湾に面した地区には、1980年代から「芝浦ゴールド」などディスコが生まれる。バブルで地価が高騰すると、とりわけ湾岸地区の安い倉庫に目が付けられる。「ジュリアナ東京」がオープンすると≪普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサーバティブ・ディスコ≫という謳い文句に釣られて、月間入場者が3万人を越す大盛況となり、新名所となる。特徴は通称《お立ち台》と呼ばれたダンスホール両脇に設置されたステージで、ここでワンレングス・ボブのヘヤースタイルにボディ・コンシャスのワンピース姿の若い女性が踊りまくる。専属DJにイギリスから呼ばれたジョン・ロビンソンの音響リズムに合わせて、「ジュリ扇」と呼ばれた扇子を手に踊る姿はバブル崩壊期の残り火のような光景となった。当初、安い家賃で倉庫を貸していた家主が、客が押し掛けて儲かるのを見て、家賃の大幅な引き上げを要求したことが、客が遠のいた原因の一つとなる。客は最寄りのJR田町駅からはるばる歩いて通ったと云う。既にバブルが崩壊してタクシーに乗ることもできずにいたからだ。

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