2022年度No.2 地下空間から考える ―「銀座らしさ」って、何だ?―
銀座は、1920年代以降に浅草に代わり東京一・日本一の繁華街になった。今では「銀座=日本一地価が高い高級商業地」というイメージが定着しているが、江戸時代には銀貨の鋳造が行われた職住一体の町人地(商人と職人のまち)であった。それが、いつ頃から今のような「銀座」になったのだろう。
銀座のランドマークと言えば、写真①左側の時計塔を戴く和光本館だろう。右側には銀座三越があって、両者の間を中央通りが走り、①の奥に向かって約2km先に日本橋三越本店が、①手前側の銀座4丁目交差点から晴海通りを左に400mほど進むとJR有楽町駅、その先に皇居や日比谷公園が、右に300mほど進むと歌舞伎座、その先に月島や晴海が位置する。中央通り沿いには、三越銀座の奥に松屋銀座があり、手前には松坂屋銀座店もあった。地上の銀座は、丸の内や新宿、渋谷などと違って建物の高さが明らかに低く、広い空がよく見える。ケバケバしいネオンサインもなく、落ち着きがあって威風堂々たる景観が保たれている。
日本では、1960年代まで建物の最大高を31m(以前は100尺)に制限していた。それが、1968年竣工の霞ヶ関ビル(147m)を嚆矢に超高層ビルが次々に建てられるようになった。作品No.5の写真④には、左手前から時計回りに2007年竣工の新丸ビル(198m)、2003年竣工の三菱UFJ信託銀行本店ビル(148m)、2004年竣工の丸の内オアゾ(159m)が写っているが、以前の旧新丸ビルも旧日本工業倶楽部会館も旧国鉄本社ビルも高さは31mだった。他方、銀座では、松坂屋が2013年に閉店し2017年に「GINZA SIX」に生まれ変わったが、当初200m近い超高層ビル計画だったものが最終的には56mとなった。和光本館も銀座三越も松屋銀座も(時計塔や看板などを除いて)、すべて高さ31m(30.3m)のままである。
鍵を握るのは、銀座で代々商売を営む旦那衆を中心とする「銀座人」である。銀座人は、協議を重ね中央区を巻き込んで1998年に「銀座ルール」を定めた。歩きながら買い物を楽しむ街には超高層ビルは相応しくないと結論づけ、高さを最高で56m(屋上工作物を入れて66m)とすることで折り合いをつけ、ルール化したのである。銀座人はさらに、2004年に「銀座街づくり会議」を、2006年に「銀座デザイン協議会」を発足させ、「銀座ルール」を改定しつつ「銀座らしさ」を街づくりやデザインに体現させている。
銀座の歩みを略記しておこう。低地(下町)に存在する町人地・銀座は、1872(M5)年に起こった銀座大火で焼失。明治新政府は、耐火性の高い国内初の西洋風の街を作ることに着手。煉瓦街が誕生した。銀座は文明開化と欧化政策の実践地と位置づけられ、1874年にアーケードやガス灯がお目見えし、1882年には国内初の電気街灯も設置され馬車鉄道も敷かれた。この頃から、商店の他に新聞社・雑誌社や印刷会社等も社屋を構えるようになった。和光の前身・服部時計店(1881年創業)が現在地に初代時計塔を建てたのが1894(M27)年、日本初のビアホールの開業は1899(M32)年だった。銀座は、西洋風の街並みで散策しながらショッピングができるモダンでハイカラな高級商業地、最先端の情報発信基地となった。
1923(T12)年に起こった関東大震災が銀座を含む下町エリアを壊滅状態に追い込んだが、復興過程で銀座は蘇り、発展を遂げていく。1924年松坂屋、1925年松屋、1930年三越が、銀座の目抜き通りに相次いで出店。1934年に地下鉄が銀座まで延伸、1939年には浅草-銀座-渋谷が全通。大正期末から昭和にかけての3百貨店の進出と地下鉄銀座線の全線開通が、「銀座らしさ」の定着と展開に大きな影響を与えた。銀座を広域からの集客力の非常に高い日本一の商業地に成長させ、地下空間が拡張し地上空間との機能的一体化を進めていくことにもなる。
今日にあっては複数の地下鉄が乗り入れ、地下鉄駅を結ぶ地下通路が張り巡らされ、地下を歩いて目的地に辿り着ける。写真②のように、その出口に上がればどこに行くかを直感的に伝える案内がなされている。勿論、主要な商業施設やビルは地下にも出入口を設け、地下通路・地下鉄駅と直結している。写真③は松屋銀座に通ずる地下通路で、2017年の銀座線開業90周年の際にリニューアルされた。天井にも壁にも円柱にもタイルを敷き詰め、「MATSUYA GINZA」、待ち合わせにも便利なナンバリング、美術品も飾れる額縁など、「銀座らしい」意匠を凝らしている。写真④の銀座駅改札口付近では、デジタル技術を駆使して光を使ったお洒落な演出もなされている。
銀座人が輪になって語り合い、古いものを大事にしながら新しいものも大胆に取り入れ、「銀座らしさ」に形を与えていく。開放感と重厚さが混じり合う地上の空間、風格とお洒落が混じり合う地下の空間は、1日にして出来上がったものではなく、歴代の銀座人の想いが次の世代に受け継がれながら創り上げられていく。集合的な想いを現在進行形で具現化していくこのあり方こそが、銀座らしさの核なのだ。
写真撮影者:①②4年河西優介、③④4年大牧美衣奈
①2022年11月10日(木)16時16分 銀座4丁目交差点(東京都中央区銀座4-5)にて撮影
②2022年11月10日(木)16時59分 東京メトロ銀座線銀座駅改札外の通路(銀座4-1-2)にて撮影
②2022年10月7日(月)15時27分 松屋銀座地下通路(銀座3-6-1)にて撮影
④2022年8月1日(月)13時12分 銀座線銀座駅改札外の通路(銀座4-1)にて撮影